ガラパゴスの子供達





 四国の空気は、今まで味わった事の無い程心地良く、綾子はその禍々しさにウットリと目を綴じた。空の見えない情景は、何処か懐かしささえ感じる。今までいた京都よりも、この死の国の方がずっとしくりくる。恐らく彼等も同じ思いなのだろう。

 彼等

 浮んできた2人の顔に、綾子からスッと表情が消えた。
 何故危険を犯しこの四国にやって来たのかは、綾子自身実は把握出来ていない。だた思ったのは、目で見る事。。。。。の意味の重さだ。
 自分のこの目で、この肌で事実を感じ取ろうと、そうでもしなければ、余りの苛立ちに息も出来なかった。
 遥か古代に失脚した皇族達が”憤死”した気持ちが、今の綾子には酷く身近だったのだ。
 フェリーから降りて遍路道に向かって歩くと、笑える程死人が溢れ返っている。彼等は皆一様に、暗く沈んだ空気を纏い何か。。を目指して無言で歩いていた。
 綾子は溜息を一つ吐くと、路の軌道の流れに歩調を合わせたのだった。










 今空海
 余りのネーミングセンスの無さに、綾子は赤鯨衆ちと名乗る憑依霊や霊体に囲まれながら失笑した。
「仰木高耶に会いたいの」
 あれから遍路道を歩き続けた綾子は、その独特の空気を読み取り”今空海”のいる山間を抜け目的地に近付きつつあった。
 既に辺りには、霊達は見当たらない。そんな鬱蒼とした山道を歩いていると、突然赤鯨衆と名乗る霊達に囲まれたのだ。
「何モンじゃ?!おんし隊長の何なんじゃ!」

 隊長

 その言葉に、綾子の肩がピクッと反応する。
 赤鯨衆については京都で厭と言う程聞かされていたので、更だったが、こうやって目の当たりにすると苦々しいものが込み上げてくるのが分かる。
「……」
 綾子は、目の前の人だったもの。。。。。。を冷めた眸で見据えた。
 これが、永々駄々を捏ね続け癇癪を垂れ流していた愚かな子供の集大成かと思うと、馬鹿馬鹿し過ぎて怒りも湧いて来ない。
「……」
「お、おい!」
 ただ黙っている綾子に何を感じたのか、赤鯨衆の一人の敵意が湧き上がり戦闘体勢に入った。
 箍が切れると、その後は簡単だったのだ。
 数個の霊体達が、綾子に向かって一斉に攻撃を仕掛けてくる。だから綾子は仕事。。をした、この450年のも間遂行して来た何時もの、同じ行為、を。
 所詮レベルが違う。
 怨霊達は一瞬で消滅した。
 自分に逆らうものは”霊”では無く”怨霊”なのだ。
 この御都合主義は、数百年の間に上杉全体に培われた意識で、綾子は意識的にそれを楽しんでいる。
 景虎に付いて生きてきたのは、綾子自身の意思だ。少なくともあのどうしようも無い壊れた上司を、綾子は嫌いではなかった。それ所か、ある意味尊敬さえしていたのだ。
 だから、どんな理不尽な痴話喧嘩の八つ当たりを受けても受け止めてきた、多分の呆れを含めて。
 こんな調伏位で疲れる筈は無いのだが、実際綾子は酷く疲れていた。体力の問題では無く、躯の徒労を煽るのは精神的なものからだ。
 白黒ハッキリさせなければ、苛立ち、と言う名の過労死さえも訪れそうな状態なのだ。
「ふ……」
 深い溜息を吐いて再び歩き出そうとした綾子の耳に、カサカサ葉を擦る音が飛び込んきた。
 直ぐに、分かる。
 明確な気配が近付いてくるのが。
 スッ、と何かが背中に沿って走った。
「……」
 綾子は眸を綴じる、そして待つのだ。
「……は…る……」
 この、衝撃に掠れた声の持ち主を。
「あら?景虎、偶然じゃない」
 ニッコリわざとらしい台詞を吐く綾子に、高耶は息を飲んだ。そして高耶はこの場で数分前に起こった事を、瞬時に把握した。
「……調伏……した、の、か……?」
 哀れな程震える声に、しかし綾子は高耶の見慣れた優しい笑みを崩さない。
「何?どうしたの?そんな顔して」
 静かな綾子に、高耶の方が耐え切れずに爆発した。
「何でッ?!どうしてッ!!」
 泣き出しそうな顔で叫ぶ高耶に、綾子は笑みを引っ込めて不思議そうに訊く。
「何って……もしかして調伏した事?」
「そうだッ!どうして………ッ!!」
 裏四国を成した後、憑依出来なくなった霊体達、それでも”良かった”と言って自分に笑った者……
 それを……
「ど、して……」
 言葉を失くした高耶を、綾子はジッと見ていた。
「晴……」
 その目を、高耶は知っていた。
 この数百年の間、綾子――晴家は常に自分を見守り認めてくれていた。しかし、極稀に優しい色の眸が変化する事があるのを知っている。
 探る、とは違う、そう、分析するかのように見詰める。それは紛れも無く『観察者』のそれ、なのだ。
 その意味が、景虎には分からなかったし、知るのが怖いかったのだと高耶はたった今気付く。
「……」
「……」
 暫くの間、2人は無言で見詰め合っていた。
 風邪が、灰色の空気の中を流れていく。どれ位そうやって立ち尽くしていたのか、沈黙を破ったのは、綾子の方だった。
「幸せそうね」
「え?」
 唐突に突き付けられた言葉の意味が、高耶には理解出来ない。次の瞬間、2人は数人の男達に囲まれていた。
「隊長、何かあったがですか?」
 男達は、全て憑依されている。裏四国以前からの、高耶の部下達で今までも、今現在も慕ってくれている者達だ。
「こん人は?」
 高耶の様子に気付いた一人が、綾子に不信気な目を向けた。だが、綾子の行動は早かった。
「バイッ!」
「え?」

「調伏!」

 それは本当に一瞬の出来事だった。
 高耶は止める間も無く、悲鳴を上げて空気の中に吸い込まれていく部下達を呆然と見送るしか術が無い。
 顔色一つ変えずに”怨霊”を調伏した綾子は、再び高耶に向き直った。
「ちょっと、何ボーッとしてんの?あたし一人にやらせないで手伝ってよ」
 綾子の声も聞こえていないのか、高耶は今だ呆然と部下達が消えた場所を、見詰めている。それから徐々に怒りに満ちる眸で、綾子を正面から睨み付けた。
「ふざけるなッ!アイツらが何をしたッ!!」
 余りのショックと怒りで、高耶の躯は微かに震えている。しかし綾子の方は、それさえも理解出来ない、と言った風に首を傾げた。
「景虎、あたしは仕事。。をしたんだけど、何時も通り。。。。。
「!」
 言葉を失くす高耶に、綾子は淡々と続けた。
「450年してきた、あたし達に強いてきた事と180度違う事をいきなりしたり言ったりしてんのは京都で聞いたわ………あんたって……本ッ当に幸せよね」
 抑揚の無い言葉が、高耶の胸に突き刺さる。そこから血が噴出してきたのを、高耶も綾子も分かっていた。
 何を言っても、何をしても、それがどんなに理不尽で理に適っていなくても、この数百年の間全て景虎は赦され認められ、最後には受け入れられてきた。
 本当に、全てに置いて、だ。

――完全なる甘やかし――

 綾子にとって、今回はその極値だった。
 今までしてきた事全て、ブチ壊したのだ、この上司は。それが単に自分の躯の調子が悪いとか、偶々周りにいた霊達――赤鯨衆のような立場の者に感化されただけの事だと言う事は綾子には良く分かっている。
 純粋に、高耶の場合気分が乗った、乗らない、のレベルなのだ。
 そんな下らないものの為に乗せられ犠牲になった者達を、自分を含めて心の底から哀れで愚かだと思った。そんな周りに、高耶は益々増長するのだ、無自覚の内に。そして最後に自分の所為だ、と自己憐憫に酔って、自分の男なおえに縋って慰められ”仕方無かった”と自己完結してそれをまた繰り返す。
 それでも綾子は良かったのだ、キチンと仕事さえしていれば。
 換生された、憑依された現代人。それは100%完全な被害者で、彼等の事を第一に、唯一に考える。それが自分達の存在意義であり、当然の事だと綾子は思っていた、勿論今も。
 どんなに景虎が下らない思考で周りに迷惑を掛けても、仕事に置いては完璧だったからその意味でだけは尊敬出来たし、だから命令に従って付いてきたのだ。
「……」
「……」
 綾子の目の前では激昂していた高耶が段々と顔色を失くし、力を失って地面に膝を着いた。
ジッと自分を見詰める綾子の眸、そこには怒りや哀しみは一切無い。そこにあるのは、だただた欠片の濁りの無い”蔑み”だけで。
 死の土地に風が吹き、高耶の柔らかい黒髪を揺らした。
「もういいわ……あたしは帰るから」
「は、る……」
 興味を失ったように目を反らすと、綾子は踵を返す。数歩歩くと、ピタッと足を止めた。
「これからも永遠に皆に守られて、結局は自分の意見を受け入れさせて、そうやって幸せに生きていけばいいわ、何があってもあんたを周りの連中は助けてくれるだろし、例え自分を犠牲にしても、ね……それを何だかんだ言って傷付いた振りして、最後には何時も通り受け入れて、あんたはそうやって生きていくのよね」
「……ぁ……」
 言い返す力は、高耶には無い。完全に崩れ落ち、蒼白になり震えるだけだ。
常に幸せに。。。。。……」
 疲れたように溜息を吐くと、今度こそ歩き出す。高耶の視界から消える間、一度も振り返る事は無かった。










 フェリー乗り場で、綾子は一人虚無を抱えて立っていた。
 怒りなどとうに無い、だた純粋に、疲れただけだ。あの、限り無く弱い上司だった者に。
 悪戯に戦いの才能があった為に、こんなに長く引き摺られてしまった自分に、自嘲が漏れた。
 もう、会う事も無いだろ。直江は景虎から離れるつもりは無さそうだし、それは長秀もしかり、だ。
 もう、気ままに生きていこう、それが赦される限り。
 世の中が暴走した霊達に混乱したとしても、これだけ散々働かされたのだ、見て見ぬ振りをしても責められる道理は無い。それは景虎の仕事なのだ。
 アレはまた何時ものように自分を責める振りをして、不幸に酔いつつ幸せに生きていくのだろう。
 そんな事をボンヤリ考えていた綾子の思考は、港に入港したフェリーによって中断される。
 トラップに足を掛け、乗り込む。
 その足取りには、何の迷いも無かった。










                                      終劇   2002・5・11

裏TOP  サイトTOP