月ロケットと金平糖   


Moon 6





                     

                    



 高耶が目を覚ましたのは、正午少し前だった。昨日帰ってきたのはもう空が明るくなる頃だったので、まだ少し頭がボーッとしている。窓から見える光景は何時もと変わらないもので、高耶は何だかホッとした。そして頭に浮んでくるのは、昨夜あった出来事だった。
 ずっと影から見ていた月人、ナオエ、という不思議な男。酷く優しい瞳を持った、星を操る男。
「……また、会える…」
口に出すと、何だか彼の手の感触が蘇ってくる様な気がして、高耶は窓の外に目を移したのだった。





 高速エレベーターシャトルは卵型で、高耶の家から地上まで一瞬で運んでくれる。ドアを出た高耶は何故か走ってそれに乗り込むと、ふぅ、と息を吐いた。
 ピ、と軽い音と共に扉が閉まり、楕円形の物体は音も無く動き出した。ス、と少しだけ掛かる重力とまだ残る眠気に、ふわ、と猫の仔みたいに大きな欠伸をしてみる。
夜間授業にはまだ早い時間、高耶は家を出た。足が向かう先はあの草原だ。この、まだ完全に星達が輝く時間になっていない時に彼は来ていないのは分かっていたけれど、足が自然に向いてしまうのは仕方の無い事。
会えるかな
会いたいな
「……」
 見上げる空に闇は、まだまだ降りていない、高耶はそんな宙を見上げて再び息をふぅ、と吐き出した。

 昨日の夜の、不思議な出来事―――

 脳裏の中を駆け巡る、キラキラの星達。金平糖は、甘く甘く口に溶けて……
「……」
「高耶ーッ!」
 物思いをたゆらせる高耶はだが、聞き覚えのある声にハッと我に返った。
「あ」
「高耶ーッ」
「譲?」
 振り返ると、そこには親友で幼馴染の成田譲が走ってくる姿がある。
「高耶ッ!」
 大きな声を出しながら駆け寄ってくる譲を、高耶は立ち止まってその場で待った。
「はぁはぁ…」
 高耶の所までやって来た譲は、早いスピードで走って来た所為で荒い息を吐いている。それでもゼーゼー言いながら必死で息を整え始めた
「は、ぁ……はぁ…ああ疲れた…」
「……何そんな急いでるんだ?」
 何時も落ち着いている親友の珍しい姿に、高耶は首を傾げてしまった。そんな高耶に、譲は呆れ顔だ。
「何ってお前……お前こそ何こんな時間に?授業に行くには早過ぎるだろ?」
「……」
 咄嗟の言い訳が出来無い高耶だ、こんな風に急に訊かれると、言葉を探して詰まってしまう。
「高耶」
「え、っと」
 そんな幼馴染の性格など良く把握している譲は、自分の勘が正しかったと確信した。
「お前、何か隠してんだろ」
 ギクッ、と瞳を揺らす高耶は、探る様に見てくる譲から目を逸らしてしまった。
「……別に…ちゃんと授業で出るんだから…」
「ふぅん」
 高耶の返事に、譲はうんうん頷いた。だからこそ、何かある、と思われているのに高耶は気付いていない。
「何で出てんだよ」
 言葉だけ聞けばとんでもないが、それでも2人とも至極真面目だった。
「…出ろって言うの、譲だろ?」
 唇を尖らせている時点で′セい訳になってしまっているのもままた、高耶は知らない。
「まぁな…じゃあう少し早いけど一緒に行こうぜ」
 そんな幼馴染の様子を横目で見つつ、試す意味のある言葉を掛けてみる。
「えッ?!」
 このまま草原へ向かうつもりだった高耶は、そんな譲の言葉にギョッとなってしまった。
「何だよ」
 案の定、高耶の表情が強張る。高耶は元々感情が顔に出る分かり易い所があるのだが、譲にかかればその確率はグン、と跳ね上がる。
「…何でもない、けど…」
 譲は親友で幼馴染で、兄弟と同じ感覚で育ってきた。だから高耶も譲には、隠し事などしないで何でも話してきたのだ。そんな高耶は迷っていた。


 彼と―――月人との出会い―――


「けど?」
「……」
 決まり悪く黙ってしまった高耶が何だか可哀想になり、譲は仕方無く助け舟を出してやった。高耶に対しては甘くなる自分を、こんな時にしみじみ思ってしまう譲だ。
「…いいから行こうぜ」
「うん…」
 はぁ、と溜息混じりの高耶を複雑な目で見ながら、譲は幼馴染の手を引いて歩き出したのだった。




 そんな授業が頭に入る筈も無く。
「高耶?」
「……」
 網を持ったままぼんやりしている高耶に、教師の声が掛っても反応もしない。
「高耶…おい、先生見てるぞッ」
 横にいた譲に肘で突付かれて、やっと我に返った。
「え?あ?」
 網の柄を握ったままキョトン、としている高耶に、譲は溜息を吐いてしまう。
「ほらッ」
 譲が目で指す先には、
「あ」
 ジロリ、と睨んだ星獲り担当の教師が立っていた。
「……」
 慌てて皆に習う様に、網を空に向かって振る。
 場所は校庭で、今は何時もは覆われているドームが全て開かれていた。生徒達は皆夫々星獲りの網を持ち、思い思いに流れてくる星達を網で獲っている。わいわい言いながらの作業は賑やかででも、高耶は余計に想いが宙に飛んでしまうのだ。

 ナオエ

 思考の殆どを、あの月人が占めている。それでも振りだけもでしなくては、と高耶は網を振り出した。
 流れてくる星達は皆、網に捕えられてしまうとキラキラした輝きをス、と消してしまう。そしてそのまま動かなくなってしまうのだ。そんな星達に”感覚”は無い、でも生きている。
 動物とは違い、その有り方は植物のそれと似ていた。摘めば枯れてしまう草花の様に、星達もまた捕らえられると生命活動を停めてしまう。
 今、宇宙省では星の人工化の研究が進んでいる。毎年無数に流れてくる星達が、無限なのか有限なのか分からないからだ。食料として使われている星だが、今は他に使い道がないかと研究中だった。その金さんから聞いた時、嬉しさ半分、あと半分は何故か浮かない気分になってしまったのを高耶は思い出す。
「……」
 浮かない思いは更に深まり、譲が眉根を顰める程力なく高耶は網を振っていた。だが、
「……」
 そんな高耶だったから、異変に気付いたのは譲の方が先だった。
「……な…」
 怪訝と言うよりも奇妙は表情は、高耶じゃあなく高耶の手元の少し先を見ている。その目は見開かれ、凝視、と言った方が合ってるかもしれない。
「高耶……どうしたんだよ…それ…」
 震えはしていなけれど、それでも何処か呆然とした色は譲にしては珍しい。
「え?」
 だから高耶も、やっと意識を引き戻したのだ。
「それだよッ」
 周りに気付かれない様に、小さな声だがそれでも譲のそれは驚きを表している。
「譲?」
「見てみろよそれッ」
「……ぁ…」
言われてそれ(・・)を見た途端、口をポカンと開けたままになってしま
った高耶は、自分の網とその周りを見て固まってしまった。
「……何、だよそれ…」
 訊いた譲にも、高耶は首を振るだけだ。
「……知らない…」
 まだ声は呆然としている。
「……」
「……」
 高耶と譲は校庭の少し皆とは離れた場所にいたので、他に気付く者はいなかった。でも、
「……」
「……俺…」
 初めは何が起こっているのか分からなかった高耶は譲と一緒に呆
然としていたが、段々と……何となくだがそれ(・・)の理由を感じて取ってしまう。
「……」

 ナオエ
 草原で出会った不思議な月人つきびと

「……」
「高耶…?」
 戸惑いの色が消えてしまった親友に、譲はそれ。。そっちのけで詰め寄ろうとした。
「おいッ」
「……うん…」
 星達は生きているが、意志はない植物の様なものだ。だから流れている所に上手く網を振れば、結構な数の星達が網の中に入ってくる。適当にやったとしても、数は減るが幾つかは必ず獲れてそれがゼロ、は有り得なかった。
「高耶?お前大丈夫か?」
 知らない現象と親友の不可思議な態度に苛立っていた譲だが、徐々に$S配の方が多くなってくる。
「うん」
 そう、高耶の網には1つも、ただの1つも星が入っていなかったのだ。それも高耶が振ると不思議と、星達の流れが逸れ綺麗に網を避ける様に流れていってしまう。
 何度やってみても同じ事で、それはまるで星達が生きているかの様に―――
「うん…俺は大丈夫」
「……」
「大丈夫だよ」
 落ち着いた雰囲気で頷く高耶は、何時しか網を振るのを止めてしまった。そんな幼馴染を譲は、不思議と不安の混じった瞳で見入っていたのだった。
 





分かってはいたが、ガッカリしてしまう。昨夜の事を思い、高耶は1人溜息を漏らしていた。
ナオエに会いたかった、会ってあの星達の不思議な動きについても訊きたかったのだ。
「…はぁ」
 本当に、ナオエに訊きたい事が後から後から溢れてくる。それらはでも、皆一様に高耶をワクワクさせるものばかりなのだが。
「はぁぁ」
 だから余計に、会えなかった事にガックリきてしまうのだ。折角約束をしたのに。
「…ナオエ…」
 あの星達が不思議な動きをした次の日、高耶はダラダラとベッドの上で何度も寝返りを打っていた。明日も会える、そう言った月人に高耶は会いに行けなかったのだ。
 どうしよう―――
 何が”どうしよう”なのか分からないけど、兎に角そう思ってしまう。昨日は行けなかったけど、今日は絶対……そう心に決める高耶は頭をグルグル悩ませていた。
 今日は譲が迎えに来る約束になっている。譲は高耶にとって家族と同じだが、年中ベタベタしている訳じゃあない。
 学校へ行くのに譲が高耶の所へ寄ると、少しだけだけど遠回りになってしまう。合流して、それから同じ道を引き返して学校へ向かい……そんな非効率的な事を譲が好む訳もなく。大体が通りの途中で合流して、それから一緒に学校へ行っていた。それなのに、気が付けば何時の間にか今日は譲がわざわざ、と言う程でもないが、ここまで迎えに来る事に決まっていた。
「……はぁ…」
 理由は分かっている、昨夜の星獲りの授業だ。
 あんな現象、流石の譲も目を丸くして息を飲む光景だったのだから。譲は高耶を酷く心配している。それが分かっているから余計に、高耶は”どうしよう”と思ってしまうのだ。
「ど、しよ…」
 ゴロン、と再び転がり高耶はベッドから落ちそうになってしまった。
「わッ」
 慌てて躯を引くと、今度は反対側に転がる。
「はぁ」
 もうそろそろ譲が迎えに来る。だけどそのまま学校に行く気にはなれず、かといって行かなければまた譲に叱られてしまうだろう。
そのまま目を閉じると、瞼の裏にはあの草原の映像が浮かび上がる、それは鮮明に。
「……」
 もう直ぐ『星渡り』の季節が終ってしまう。それは星獲りの授業の終りを意味し、今までは嬉しいと思っていた。でも、今回は――


 ――ナオエが……何処かに行ってしまうかもしれない――


「ぁ…」
 漠然とした、不安。
 まだ会ったばかりなのに、何処か懐かしい気持ちにさせる、月人。頭に浮ぶのは、ナオエの優しい琥珀の瞳。
「……」
 ムクリ、と勢い良く高耶は躯を起こした。そのまま濃紺のピーコートを着込み、マフラーを巻いてリセバックを取る。
「あら高耶?」
「行ってきますッ」
 母が何か言う前に、高耶はドアを飛び出していた。






                                            




2014.10.28