月ロケットと金平糖   


Moon 8


                     

                    
「じゃあ、行きましょうか」
「え?何処へ?」
 そっと細い躯を解放しながら言う月人に、高耶は首を傾げる。
「港、ですよ」
「金さんッ?!」
 そう言われて、さっきナオエが、今夜は店を出している、と言っていたのを思い出した。それは何時もの日常で、ホッと息を吐を高耶に吐き出させる、でも、

 あれが来てしまえば…ナオエは帰ってしまうのかもしれない……

「……」
 キュ、と唇を噛む高耶は、俯いているのでナオエは気付けない。
 一欠けらの不安を胸に、高耶はナオエの後に着いて灯台を後にした。そして入り口を出ると、暗い海を振り返った。
「ぁ……」
 今まであった筈のアンモナイトの姿が、何処にも見当たらない。驚きでその場から動けない高耶の肩をそっと抱くと、ナオエは何も言わずに灯台を後にした。








「金さん!」
 2人が港に行くと、高耶の望んだ情景がそこにはあった。港口があって屋台があって、
「金さんッ!」
 そして金さんが、いる。
 ナオエの横を手を繋いで歩いていた高耶はそれを振り解き、嬉しそうに走り出した。辿り着いた赤いテントの小さな出店は、慣れた金平糖の甘い匂いを漂わせている。
「オヤ、高耶君、今晩は」
「今晩はッ」
 嬉しくて全開の笑みを浮かべる少年に、初老の男もニコニコと何時もの笑顔で高耶を迎えた。そしてその後ろにいるナエオに目を流す。
「……」
「……」
 交差する視線。
 金さんがナオエを見た瞬間、その笑顔が少しだけ哀しいものに変わったのを高耶は気付かない。
「ドォナッツが揚がったよ」
 そう言って白いセロファンに包まれた星のドォナッツを、金さんは高耶に手渡した。
「ありがと」
 甘い甘いドォナッツを頬張ると、口の中に不思議な甘さが広がった。この味は、金さんだけの味だ。母親の作るドォナッツも美味しいけど、でもこの味は金さんしか生み出せない高耶の大事な宝物の1つなのだ。
「良かった…金さんいて…」
 甘い味を噛み締めながら、口の周りに砂糖を付けて高耶が嬉しそうに笑う。
「金さん金さん、さっき灯台行ったんだ、ナオエと」
 今になって、あの幻想的な情景の美しさに高耶は興奮に頬を染めた。
「大きくて白いものが、星達と来たんだよ……あれは……」
 そう言うと、背後に立っていたナオエを振り返る。
「何?」
 最後の問いは、ナオエに向けたものだ。
 考えて見ると、あんな不思議なものは初めて見た。それに、忽然と消えた事実。暗黒の夜空に浮かび上がる、不思議な不思議なアンモナイト……
「何……なのナオエ」
 キョトン、と問うてくる少年に、月人は何処か哀しそうな笑みを浮かべる。でもそれは本当に微かなもので、高耶には気付けないものだ。
「……アレはね…月ロケット、なんです」
「月……?」
 月ロケット?
 初めて聞く言葉に、高耶は首を傾げてしまう。でも、月ロケット……何て綺麗で、ワクワクする響き。
「ロケット…」
 少し恍惚とした表情で呟く高耶を驚いた目で見ると、直ぐに答えたナオエに金さんは更に驚愕の顔で見詰めた。ナオエはそれに気付かないフリをして言葉を続ける。
「そう」
「じゃあ、あれ(・・)はどうしてこの星に来たんだ?」
「それは……まだ、言えません」
 笑顔は優しかったけど、それ以上の答えはくれないもので。高耶は、そう、と言ってまたドォナッツを口に入れる。それから暫くの間沈黙が落ちた。高耶はドォナッツに夢中な心の隅で、ナオエとさっき見た月ロケットを思う、そして星達―――アンモナイトの案内人―――
「……」
 高耶は、濃紺の空を見上げた。そこにはやはり、星達は誰もはいない。
 金さんの出店には、今夜は金平糖は無いようだ。どうして、とは、高耶は訊けなかった。それは、沢山の昂揚感の中の、微かな憔悴感の所為だと、高耶は分かっていたから。
 それでもやっぱり、初めて見た空に浮く物体は、高耶を十分ワクワクさせたのだった。







 それから間の無くコンパートメントに帰ってきた高耶がベッドの中で思うのは、やっぱりあの白いアンモナイトに似た白い物体の姿だった。
 ナオエと金さんは、あれに乗ってこの星に来たのだろうか……だとしたら、あれに乗って月に帰ってしまうかもしれない。
「ッ」
 浮かぶ想像に、高耶は思わずガバッと躯を起こしてしまった。でも直ぐに力が抜けてベッドに逆戻りしてしまう。
「んんんッ」
 プルプルと頭を何度も振ると、高耶ははぁ、と溜息を吐いた。久し振りに食べた金さんのドォナッツは本当に美味しくて、甘く高耶の口に溶けていく。でも、2人の月人の間を流れる空気を高耶は、ベッドの上で思い起こしてみる。
 あの時は分からなかったけど、今思えば何処か張り詰めたものが流れていた様な気がするのだ。
「……」
 ナオエは帰らない、と言っていたけれど、2人は月人なのだから何時かは帰ってしまう可能性の方が高い。そう、何時かは、自分達の星―――月に帰って行ってしまうだろう。
「イヤだ…」
 会って間もない、ナオエとはまだ数回しか会っていないと言うのに、高耶の中ではもう、あの月人が自分の前から消えてしまう事は考えられなくなっていた。
「……ぅぅ…」
 そんな事を考えながら、高耶はベッドの中で寝返りを打つ。
 母親も、高耶の様子が何処かおかしい事に何となく勘付き、口にはしないが心配気な目で見ていたのを思い出した。でも、高耶は母親にこの話をするつもりは無かった。だが、もし祖父が生きていれば一番に話していただろう。
「おじいちゃん……」
 皺だらけの顔は優しく、何処か金さんに似ている。大好きだった祖父は、だがもういない。話を聞いてもらいたくとも、決して叶わないのだ。
 ゆっくりベッドから降りると、高耶は窓に近付く。開かないそれは丸く、壁に大きく埋め込まれている。ボタンを押すと、音無く窓を覆っていたシャッターが渦巻き状に開いていった。そこから外を
 覗いてみても見えるものはそらだけだ。夜間授業は今日から4日間お休みで、学校そのものも休みになっている。だから夜を自由に使えて嬉しい筈なのに……
「……」
 眠れそうもなかった。
 高耶は、シャッターのボタンの脇にあるもう1つのそれを押してみる。すると窓の外で、透明な筒状になったものが宙に伸びていった。そこに顔を入れて、外を見下ろす。だが、遥か下のある地面は、夜の闇の所為で全く見えなかった。もっとも、昼間でも見える事など無いのだが。そして今度は、天窓の自動シャッターを開いて夜空を見上げた。
「……」
 銀河を望む暗黒の空に、高耶は思いを馳せる。目を閉じた世界に現れるのは綺麗なオッド・アイを持った、優しい月人ナオエの瞳だった。












 高耶が目を覚ましたのは正午少し前だった。昨日帰ってきたのはもう空が明るくなる頃だったので、まだ少し頭がボーッとしているは何時もの事だ。
 寝癖の酷い髪のまま、高耶はその外ベッドから起き出しボタンを押した。
「わ」
 すると眩しい光が、一気に高耶の部屋に差し込んでくる。
「眩し…」
 眩しさをそのままに高耶は、濃紺で縁が白いステッチで飾られているパジャマを脱ぎ捨てた。コンパートメント内は全て空調が管理されているので、夏でも冬でも季節を感じさせる事は無かった。快適とは既に、自覚も無い高耶だ。
 無数に生えている全てのコンパートメントはその全体に、薄い膜で覆われている。それは有害な光線を全て遮り、上空故に強烈な光線の強さも和らげていた。だがそれでも、朝の寝起きの高耶にとって十分眩しいものだった。
「んー…」
 目を擦りながらボタンを押し、透明な筒を宙に伸ばした。そこから昨夜の様に顔を出してみる。高い高い、遥か上空に伸びる塔の横から、チョコっと小さな枝が生える。このコンパートメントの全ての部屋に勿論、その機能は備え付けられていた。
 上半身を乗り出す形で高耶は、その筒に顔を突っ込んでいるのだ。それでも窓から見える光景は何時もと変わらないもので、高耶は何だかホッとした。
 夜間授業のある間は、朝が普段よりも遅かった。
 夜の訪れが早い時期なので、星獲りの授業は7時に始まり10時に終わる。それから家に帰るので、親は子供達が寝坊しても怒らないのだ。そもそも夜間授業のある日には、昼間の学校は休みになるのだから。
「ふわぁ…」
 ねこの仔みたいに大きく欠伸をしながら伸びると、高耶はパジャマを脱いで上半身裸のままベッドに腰を降ろした。
 昨夜見た夢は、不思議なものだった。



 アンモナイト―――月ロケット



 白いそれに乗った高耶は、この星を離れ月へと帰って・・・行く。月ロケットの中で1人切りだった高耶は、他に誰もいない事を全く疑問に思っていなかった。ナオエが横にいないのを。
 丸い窓から見えた星は、今まで暮らしていた場所。あそこに家族や友人、譲が暮らしている。でも高耶は帰る(・・)自分に何の疑問も感じ
ていなかった。
 近付く月に、懐かしさが込上げる―――その不思議さを、高耶は自然に受け入れていた。
「……」
 思い出した夢の中、その自分の心境と光景に高耶は一気に覚醒する。
「…ナオエ…」
 会いたかった、あの月人に。だが無性に会いたくなってしまった月人の彼は、今何処にいるのか分からない。でも高耶は止まらなかった。
「ナオエ…ッ」
 勢い良くパジャマを脱ぐと、床に散ばっていたアイボリィのアイリッシュセーターとウールのネイビィのズボンを穿いた。壁に掛けてあるダッフルコォトを羽織りマフラーを引っ手繰る様に掴む。でも、そこで初めて窓の外の眩しさを思い出した。
「ぁ」
 まだまだ日は高い、こんな時間は星達は皆隠れてしまっている。そもそも夜半過ぎにしか、ナオエとは会った事は無いのだ。今あの草原に行っても彼がいる筈がない。
「……」
 勢いが急に萎んでしまった高耶だが、落ち着かない気持ちは持て余している状態だ。でもこんな気持ちのままで、ジッとなんかしていられない。
「…うん…」
脳裏に浮かんだ、網を持つオッド・アイの月人。自分の中で何かを決めると、高耶はそのまま高速エレベーターシャトルに乗り込んだ。コンパートメントを出ると、ゆっくり足を街外れに向ける。そのまま少年はゆっくり歩き出したのだった。






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2014.10.30