月ロケットと金平糖   


Moon 9


                     

                    
 1時間程歩いた高耶は、やっと足を止めた。歩き続けてきたけど、ゆっくりゆっくり歩いていたので疲れは殆どない。そして辿り着いた光景に呆然と見入っていた。
「わぁ…」


 一面の砂―――広大な砂漠―――


 砂漠にそして生えている、無数の巨大な白いロボット風車計の郡。ここに前に来たのは、祖父がまだ元気だった頃だ。祖父の骨ばった暖かい手に包まれた高耶の小さい手は、目の前の幻想的な光景に微かに震えたのだ。
「……」
 今、心も震えている。

 ザク

 一歩砂漠に足を踏み入れると、編み上げブーツが砂に沈んでいく。

 ザク

 でも砂の柔らかい感触が心地良くもあった。


 ザク ザク

 そんな感触を楽しんでいた高耶は、空に気配を感じてゆっくり俯いていた顔を上げて見る、と、
「――――ぇ」
 真昼の月は、白く透明だ。藍い空に溶けて姿を闇と一緒に隠している。なのに今、見上げた空に浮かぶ月はオレンヂ色を発光しているのだ
「……」
 信じられない光景にポカン、と口を開け惚けている高耶は、そんな頭の隅で思う。この前星達の消えた夜があった。ナオエと会って、星達は来ない、と言ったあの夜空だ。
 シーズン中なのに星が消えたと、翌日母親が驚きながら話していた。宇宙省も原因が分からないらしい。その、不思議な現象と今のこのオレンヂの月は果たして同じなのだろうか。だが、高耶が驚くのはそれだけじゃあなかった。
「!」
 大きな声が出そうになってしまった口を、無意識に両手で覆った。他にこの砂漠に誰がいるでもないのに、高耶自身もこの行動の意味など分からない。でも、何故かそうしなければならない、と思ったのだ。
「……」
 ゴクリ、と喉が鳴る。言葉も、綺麗に飲み込んでしまった。
「……ぁ…」
 息を飲む。
 消え入りそうな小さな声は、高耶自身の耳にも入ってこない。呆然とただ、首の痛さも忘れて上空を見詰める他なかったのだ。
「……月…」
 真昼の眩しい空、そこに何時もはこの時間隠れている月がオレンヂ色を纏い、しかも動いている様に見える。そして……
「ロケ……ト…」



 月ロケット―――



 あの、白いアンモナイトがぼんやりと、真昼の空に浮かんでいるのだ。
「……何、で…」
 震える少年の唇は、何を感じているのか。それでも真冬の午後の昼下がり、凍り付く高耶の前で、ゆっくりゆっくりアンモナイトは降りてくる。そしてとうとう、少年の目の前に降り立った。その動きはまるで、高耶を迎えに来たかの様だった。
「……」
 アンモナイトの口が、渦状に開いていくのを高耶は、これ以上無い程見開いた瞳で瞬きもせずに見詰めている。
 今のこの状況、信じられないものなのに何故か、高耶は精神こころの何処かでそれをすんなり受け入れていた。だから中から、
「……ナオ、エ…」
 あの、月人が降りて来ても、それは多分自然な事なのだろう。
「ナオ…」
「高耶さん」
 不思議なコートと靴を履いた月人は、怒っても笑ってもいなかった。表情の無い顔は、高耶の初めて見るものだ。
「ナオエ…これ…」
 これ、とは何を指すのだろう。

 オレンヂ色の月?
 アンモナイトの月ロケット?

「……」
 自分でも分からない高耶は、込上げてくる感情に、グッと唇を噛めた。
「高耶さん」
 そんな少年を、月人は呼ぶ。
「高耶さん」
 ゆっくり差し出される手を、高耶は知っていた。大きくて優しく髪を撫でてくれる長い指。それを目の前に差し出され、目の前に立つナオエを振り仰いだ。
「……」
 その不安気な表情に、ナオエは今日初めての笑みを浮かべる。
「高耶さん」
「……」
 細められる琥珀は優しい色で、今まであった緊迫感を払拭してくれる。だから高耶も肩の力を抜き、恐る恐るだがナオエの手に自分のそれを差し出した。
「さあ」
 優しくだが、確り握られた手を引いて、ナオエは歩き出す。その後を手を握られて歩く高耶を、アンモナイトは飲み込んでいった。そこで高耶は、丸い何かから蒼い星を見た気がした。そしてそれから、高耶の意識は途切れたのだった。












 カツーン
 カツーン

「ぅ…ぅ、ん……」
 耳鳴りに痛みは無い。ただ頭の奥の方で、乾いた音が反響している。低く高く、その音根は不思議な響きをもたら した。

 カツーン
 カツーン

「ぅ…」
 不快じゃあ無い、でも酷く落ち着かない感覚に、震える瞼がゆっくり開いていった。
「ぅ…ん……」
 重いのは頭だけじゃあ無く。
「ぁ、ぅ…」
 躯全部が重く感じ、躯を起こすのを途中で止めてしまった。でもそれ程辛く重い、とは違う。重い躯を動かすのが面倒と言う思いが一番強いのだが。
 開いた瞼は半分程。その分視界も半分で、先に広がる世界は鮮明とは言い難い。だがそれでも大体の、何となくだが”形”は把握出来た、だから、
「……」
 半分だけ開いていた目も直ぐに、完全に開いてしまうのだ、しかもとても大きく。
「な……」
 冷たい床だった。だが眠っていた者―――高耶の躯は冷えてはいない。
「……」
 躯の重さ、ダルさを気にしていた気持ちは既に消えて無くなっていた。
 白い白い空間は、何も無い。高い天井には多分模様があるらしいが、余りに高過ぎて何が描かれているのか分からない。
「……」
 現実から掛け離れた世界に、高耶はただ圧倒されていた。
 昔々、高耶の住む星の世界は6つの大陸に分かれていたと言う。大きいものが6つ、海に浮かび存在していた。だが今は世界は50以上の大陸に夫々海の上を散ばっていた。
 授業で習った”島国”と呼ばれる国の大きさを考えれば、今では全ての国が”島国”と呼ばれるに価するだろう。
 その昔あったと言う”ギリシア”と言う国。その国にあった神殿と言う名の遺跡、教科書や映像で見た事がある。今高耶がいる場所は、まるでその中だ。
 だがその形式は確かに教科書で見た”神殿”とは違った。床やそこから生えている柱に掘り込まれている模様は幾何学で。アァルデコの世界が高耶を囲み包み込んでいた。白い陶器は、高耶を完全に飲み込んでいたのだ。
「……ここ…」
 不思議だった。
 街は『星渡り』の季節で、だから冬だ。寒い世界で高耶は、暖かなコートとマフラーを手放したりしない。でも、ここ・・は全く寒くないし、また暑くもなかった。だから冷たい床に倒れていても、躯は少しも冷えていないのだ。
 幻想的で夢の様なこの場所を、高耶は知る筈も無い。それなのに何故か不安が無いのが不思議だった。
 砂漠、そしてオレンヂ色の月―――アンモナイトの月ロケット。ぽっかりと真昼の空に浮かぶそれに、高耶は確かに遭遇した。そして迎えに来た月人ナオエ。
 彼の手を取り高耶は、口を大きく開いたアンモナイトに乗ったのだ。それから?
「それ、から…」
 1人呟き、唇を指でなぞる。それは考え込んだ時の高耶のクセだった。
 それから……それから何を見た?
「……」
 藍の星は、住んでいた街。それを闇の宙から見下ろしていた。高耶は見たのだ、確かに星を。丸い星は美しく、遠い昔あったらしい空気汚染や海中汚染など考えられなかった、あんな美しいものを汚せた過去の人間達も。でも、高耶の記憶はそこまでだ。その先に当たるものが、この―――今の状況なのだ。
「……ん…」
 指で唇を弄んぶ。ぼんやりと記憶の頁を捲ると、聴覚が答えを出してくれた。

 カツーン
 カツーン

 そう、あの乾いた音。あれは足音だ。
「足音……」
 高耶は眠っていた、だから当然歩いていない。なら、あれは誰の足音だ?
「……」
 考えるのをだがそこで止めると、高耶はゆっくり立ち上がった。天井が上空高い”神殿”だが、床面積はそれ程広くない様だ。空間の中心に立ち、高耶はグルッと360度神殿の内部を見回した。
 白の色と陶器に似た感じは、あの港の灯台に似ている。だからなのか、何とかく暖かさを感じた。別に不安も心細さも無かったが、高耶はゆっくり歩き出す。この$_殿の外には一体何が存在するのだろう。そしてここは一体どの$「界なのだろうか……
 それを見たくて知りたくて、高耶は重さを忘れた躯をのんびり動かし始めた。
 広さは無く高さだけのそこから出るのは、大した時間は掛からない。”神殿”から一歩出て、下に伸びる階段に足を踏み出す。階段は4つだけの小さく低いものだった。だが高耶は1段降りただけで、階段の途中に足を止めてしまう。
「……」
 大気の無い”剥き出しの宇宙”がそこにあった。そして遠い遠い宙に浮かんでいるのは、高耶が住んでいた星。藍く美しい、金平糖や砂漠のある星、だった。
「……」
 遠い宇宙から自分の星を眺める不思議を、当たり前の様に受け入れている。その不自然な自然さ、に高耶はふぅ、と息を吐いた。
 音の無い、世界だった。シン、と耳に痛い程の。
 静寂の中で、少年はゆっくり歩き出す。何もないこの星―――月は高耶に、酷く暖かい懐かしさを与える場所だった。だからなのか、自分の住んでいた星を見下ろしながらも、不安も感じないで済んでいる。
 昔はもっと大きかったのにな……数時間で一周出来てしまいそうな月を歩きながらぼんやり思う。
「あれ?」
 だが、直ぐに少年は自分の考えの不思議さに気付き足を止めてしまった。
 昔は―――大きかった?
 昔?
「……」
 高耶の精神(きもち)は、この星の―――月の昔を知っている。そう奥の方が訴えてくる。
 さて、どうしたものか。
 ここはとても心地が良いけど、でもこのままずっとこうしていていいのか分からない。焦りもせずのんびり考える高耶は、取り敢えず歩こう、と足を動かし始めた、ポカリと浮かぶ藍の星を見下ろしながら。
 それからそう歩いていない高耶は、不思議なものを見付けて立ち止まった。
 闇の宇宙に浮かぶ藍の星。月の地面は赫茶けていて、乾燥した岩肌が連なっている。
 ふと振り返った高耶は少し離れた所に生えている”神殿”を眺めた。それから再び首を前に戻して、目の前の”もの”を見上げてみる。
「……」
 それはまるで、小さい頃レーザー事典で見た”筍”と言う植物みたいだった。卵型で地面に生えている様にも見えるし、埋め込まれているみたいにも見える。だが大きさは巨大で、先程までいた”神殿”位には大きい。
「……」
 丸くてツルッとしていて、小さい周りの弱い光を反射している。表面には何もなく、一体これは何なのか高耶には全く分からなかった。
「……たまご…?」
 巨大卵は高耶の前で、ただ沈黙している。それを暫く見ていた高耶はふと、手を伸ばしてそっと表面に触れてみた。
「ッ」
 ビリビリ、と軽い痺れが伝わって、慌てて手を引っ込めたと同時だった、
「わわッ?!」
 突然たまごが発光を始めたのは。
「何ッ?!」
 驚いて一歩飛び退る高耶はだが、直ぐに再びポカン、と口と目を見開く事となってしまう。
「……わ……」
 眩しさに一瞬だけ目を閉じた高耶が再び開いた時には、
「……」
 その外見と同じく卵型の穴がぽっかり空いていたからだ。それは
確かに、高耶を誘っ(いざな)ていた。
「いい…のかな……?」
 誰もいないと何故か、独り言が増えてしまう。高耶も自覚無しに先程から思った事を口にしていた。
「いいよ…ね?」
 誰にでもなく確認すると、開いたその穴の前に立つ。
 穴は丁度地面に接していて、まるで入り口の様に出来上がっていた。大きさは高耶よりも少し小さい程度で、少しだけ頭を下げて少年は吸い込まれる様に入って行った。






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2014.11.2