八
血の海、とはこのことを言うのか。
私と同じくこの島に閉じ込められた教諭の後を追った、色部と共に見たものは・・・・・
「・・・・・・・なん・・・・・・・で・・・・・・・・・」
教員室の奥にある教頭の机の下でうつ伏せになって倒れている教頭のは、己の身体から流れ出た液体の海に、浮んでいる。
頚動脈を掻ききった凶器は、まだ彼の手に握られていた。
「・・・ぁ・・・・・・」
それを見た時、もう私は驚かなかった。
見間違える筈も無い、高耶の銀のナイフ。
そして、遅れて追いついた色部が着くと同時に、それは掻き消える。
まだまだ、死ぬよ
高耶の声が、頭の中で反響した。
彼の情人だった生徒が刺殺したのも、きっとこのナイフなのだ。
連日続く非日常的な出来事で精神が麻痺してしまったらしく、私は自分でも驚く程落ち着いて教頭の血に濡れた遺体を見下ろしていた。
「・・・・・・・直江、先生・・・・・・」
「色部先生」
「・・・・・・・今の状態では本土から憲兵はこれないでしょう・・・兎に角、彼の遺体を片付けなければ・・・・・・」
最後の方は、自分に言い聞かせている様だった。
色部の視線は私と同じく、鮮やかな紅を映しているのだろう。
しかし彼がそれを、どんな気持ちで見ているかは、推し量る事は出来ない。
それから私と色部、それに私達を呼びに来た教諭とで、遺体の処理をした。
手や服が血に染まったが、敢えてそれを無視する。
黙々と手だけ動かし、思考は出来るだけ動かさない様に勤めた。
「・・・・じきに、夜が来る・・・・・・・・」
ポツリ、と言った色部の呟きが、何故だか酷く耳に残った・・・・・・・
外では嵐の轟音が鳴り響いていたのだが、疲れ果てた私は、昨夜と違い布団に潜ると直ぐに、睡魔に襲われる。
何も考えたくない私にとっては、それは好都合だった。
しかし、夜には、魔が通り過ぎる。
いくら深い眠りに落ちていても、それから逃れる事は出来ないのだ。
ポッカリ、と目が開いた。
あれだけ熟睡していたのに、目を開いた私の意識は、酷く鮮明だった。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです
高耶が、私を呼んでいる。
鍵は掛かっていなかった。
今更それを、不思議とは思わない。
「来たか」
少年とは思えない、凛として、心に響く声。
今初めて私は、それを心地良く感じていた。
「今晩は、直江先生」
「・・・・・・・・・・」
「さて、何の話をしようか・・・・・先生、今この島に、何人の人間がいるか、解かりますか?」
「え?」
高耶は部屋の隅で、膝を抱えてジッと私を見詰めている。
闇の中で、彼の紅い瞳と銀の牙が、浮び上がる。
私は扉の前で、ただ立ち尽くしている。
「数えて」
殆どの生徒、教諭は嵐の前に島を離れた。
だから今残っているのは・・・・・・・
「・・・・・・ぁ・・・・・・・・」
「解かった?」
クスクス嘲笑う高耶の声も、私の耳には届いてこない。
私と色部、それに学長、後残っているのは、先程教頭の遺体を発見した佐野教諭、そしてたった生徒が二人・・・・・・・六人だ・・・・・
「・・・・・六人・・・・・・ぁ・・・・・・っ」
そして、思い出す、
高耶の情人だった生徒二人、水死体で上がった結城、首を括った設楽、高耶に殺められた山嵜、それにたった今血塗れの姿を晒した教頭・・・・全て合わせると・・・・
「十二・・・・・・・人・・・・・・・・」
それは、高耶を除いた数。
十二人の、使徒・・・・・・
頭が・・・・・痛む・・・・・・・
「・・・・・ぁ・・・・・じゃぁ・・・・まさ、か・・・・・」
十二人、全ての使徒が、死ぬというのか?
私の狼狽が楽しいらしく、高耶は子供の様な無邪気な笑みを見せた。
「少しは、思い出した?」
「え?」
「なんだぁ、まだ思い出さないんですか?」
仕方が無いなぁ、と言い、ゆっくりと立ち上がった高耶が、私に近付いて来る。
美しい、私の悪魔・・・・・・
目の前の細い腰を、引き寄せる。
それは驚く程自然に、私の腕の中に倒れ込んで来た。
私は、確かにこれを、知っている・・・・・・
「・・・・・そうだ・・・・・・お前はこうして俺を抱いて・・・・」
うっとりと仰け反る白い首筋に、唇を押し当てる。
乱暴に床に押した倒しても、高耶は楽しそうに身体を振るだけだ。
私は夢中で、しなやかな肢体を弄った。
「・・・・ぁ・・・あぁ・・・・・あぅ・・・・・・んん」
素直に快楽に身を委ね窓から漏れる雷に照らされる高耶は、これ以上無い程、私の劣情を刺激した。
滑らせる手に、舌に、敏感に返る反応。
「・・・・・・ぁは・・・・・ぁんん・・・・・ふぁ・・も、っと・・・・・・直、江・・・」
細い腰を、乱暴に犯す私の目には、もう目の前の美しい悪魔しか映っていない
「あぁ・・・・あ・・・やぁっ!・・・・・・・・も・・もぉ・・・・・・っ!」
「止めろっ!何故殺す必要があるっ?!」
この声は、知っている・・・・・・私のものだ。
「師は整えておけ、と仰ったのを忘れたのかっ!」
これは誰だ?酷く懐かしい・・・・・・しかし、つい最近聞いていた様な・・・・
「そうだ、僅かな歪みも許されない、彼等は排除するべきだ」
この声は?聞いた事は・・・・・・・ある・・・・・・・?
「一つ許せば、後は済し崩しになる、やはりここは排除しよう」
そうだ、私はこの時、皆に反対されて・・・・皆?皆とは、誰の事だ?
飛び散る血飛沫
逃げ惑う、哀れな民
響き渡る悲痛な悲鳴
残る、残響
そして・・・・・・真っ赤に染まる、大地・・・・・
”止めろっ!”
「っ!」
衝撃を受けて飛び起きた私は、厭な汗を拭いながら回りを見まわした。
高耶の監禁されていた一室、そこで私は今まで眠り込んでいたらしい。
そして、自分を覚醒させた悪夢について思う起こす。
「夢・・・・・・あれが、夢、だと・・・・・・?」
口に出してみると、その言葉自体に違和感を感じる。
夢などでは、ない・・・・・私はあれを現実に見てきたのだ。
そして、いる筈の高耶の姿が見えない事実に、愕然とする。
否、違う、私は彼を、抱いた・・・・・しかも、
「・・・・初めてじゃあ・・・・・ない・・・・・・?」
確かに、あのしなやかな白い肢体は、私の記憶の奥底に存在する。
しかし、一体何時何処で彼を抱いたというのか。
起き上がった時に感じる、酷い倦怠感、それを押し殺して立ち上がった私は、迷いの無い足取りで、礼拝堂に向かう、高耶の待つ、あの地へ・・・・・・・・
ギィ―ッ
「その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです」
高耶の声が、暗闇から聞こえてくる。
この言葉を、私は知っている、これは『テサロニケ』の中の一節で、背教について書かれている件りだ。
祭壇の上に座っている高耶は、私を笑顔で迎えてくれる。
「おいで、迷いの使徒」
嵐の中をやって来た私の身体は豪雨を浴び、全身ずぶ濡れになっていたが、不思議とそんなものは気にならなかった。
彼が、全ての謎を解いてくれる筈だ。
ピチャ、ピチャ
水の動く音が、静寂の中で耳につく。
祭壇の上に一つある蝋燭だけが、この空間を照らす光だ。
それに段々目が慣れてきた私の目に、その全貌が明らかになってゆく。
礼拝席に横たわっているのは、学長と佐野教諭、それに残っていた二人の生徒達。
微かな水音は、彼等の座る礼拝席から滴り落ちる鮮血だった。
そう、彼等は皆、事切れている。
しかしそれを何処かで解かっていた私は、それを冷静な瞳で見詰めているだけだ。
「私も・・・・・・・・殺す、のか・・・・・・・?そのナイフで・・・・・」
抑揚の無い私の声に、高耶の笑みが深まる。
紅い瞳と銀の牙は、何故か祭壇に良く似合っていた。
「おいで」
ピチャッ、と水音を立てながら、私は高耶に近付く。
彼の手が、私の雨に濡れた頬に伸びた、その時だった、
「直江先生っ!!」
静寂を破ったのは、色部教諭の叫びだった・・・・・・・
続
2001.3.31