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 宇宙船は、銀河を目指す



 漠然とそんな事を考えたのは、きっと目の前の情景の所為だ。
 宇宙色に染まった鬱蒼と茂る樹々、突如中心から生えたかの様クリーム色の巨大物体。それは俺を圧迫して、でも決して、不快感を与えない。
 暫くライトアップされたぼやけた光の塊を見ていたが、忘れていた寒さに後押しされ、俺の躯はそれ・・の内部に飲み込まれていった……







 緑色の城壁に、宇宙船は守られていた。窓を開けると、カーテンを付けてない部屋に眩しい光の線に混じって森の匂いが部屋を浸食する。
 窓際にあるアンティークの飴色のデスクの上の白い紙が、空の白に反射して目を焼く程の光を発していた。だから、『彼』に出会ったのも、そんな付属品達と一緒で至極当然な原理に基づく事柄だと思っている。
 初めて目にした彼は酷く綺麗で、綺麗過ぎて……そこに伴う哀しみにその瞬間、時間の波から弾き出されてしまったのを覚えている。光に透けた彼の躯が、多分もう直ぐ溶けて消えてしまうのを、細胞の何処かで理解してしまったからだろうか。彼はそこにいるだけで一つの世界を形成していて、他の物質を決して受け入れてはくれないのだ。
 一見柔らかく拒絶など無縁の様に振る舞いながらもその実、内面は硬質を保っていて、それに気付いたのは俺だけであるの事を、自分も受け入れて貰えないのを知りつつ、その事実に恍惚となってしまう。
 頭の中でそんな事を考えながら、古く年代を感じさせる木製の横扉を開ける。
 何時もの席に、彼はいた。
 多分彼は、学園の中でこの図書室が気に入っているのだろう、良くここ姿を見る事が出来る。音の無い世界での彼は、唯一その世界で生きる事の許された生物らしく、寛いだ表情が俺の心を暖かくした。
 ボンヤリと眺めていると、俺の存在に気付いた彼が顔を上げた。
「…ぁ…今日は、寮長」
 向けられた笑顔は柔らかいが、一瞬浮かべた戸惑いの表情を見逃さなかった。
「今日は、仰木君は読書ですか?」
 それに気付かない振りをしてゆったりとした足取りで彼の座る窓際へと足を進めるが、余裕の顔の下で内心、心臓が激しく波打っているのが分かる。
「えぇ……この学校の図書室は蔵書が揃っていて嬉しいです」
「そう、それは良かった、でも一年生は余りここには近付かないのに、仰木君は本が好きなんですね」
「そう……好き、です。寮長もですか?」
「えぇ、でも今日は少し調べ物があって」
 それは嘘だ。
 本当は、彼に会いに来たのだ。
 俺の答えに彼は少し首を傾げて、それからまた開いていた書物に戻っていった。
 俯く彼の後頭部を見下ろして、何時までも見たいたい衝動を押さ込むと、引き摺る心を持て余しながら広い室内に無数に生える本棚の方に歩き出す
 この広い図書館は、校舎の南側に別棟として建てられている。山奥にある全寮制の高校には、この位の規模の蔵書が無いと持たないのだろう。明治から続く『名門』とも言える学園側の虚栄心を満たす材料になっているのも、また事実だと言う事は、この学園に在籍する者ならば誰でも知っている事だ。
 その所為と言う訳では無いが、ここに近付く生徒は余りいない、試験期間などを除けば。
 二階建ての木造建築物は、重文にでも指定されそうな趣がある。
 一階は授業や受験に必要な、実践的な参考書類の本が多いのだが、この彼のいる二階には、受験にはおよそ無縁な文学が揃えられていた。三方を広い窓に囲まれており、大量の光が差し込んでいて、明るい空間を作っている。一つ一つ仕切られたブースはその三方の窓際に沿う様に設置してあって、彼は何時も南側の一番後ろの席に座っているのだ。
 その事実は、余り生徒達に知られていない。もし知られていればその途端に、この静寂は粉々に破壊されてしまうだろう事は、容易に想像出来た。
 調べ物をする為に、オレは形だけでも一階の書庫に向かう。
 階段を降りる瞬間一度だけ振り返った。
 驚いた事に、とっくに俺の存在など締め出してしまっているのかと思った彼と目が合った。
「……ぁ…じゃあ……」
 笑みは、多分ぎこちなかったと思うけど、それを気にする余裕などないまま階段を降りる足を機械的に動かしたのだった、一ヶ月前の入学式で隣に座っていた千秋が騒いでいた言葉を半数しながら――








「オイ、見ろよ直江、アイツ」
 四月、決して派手では無いが、大業に行われる入学式。
 新しく三年になった俺は、また新しく寮長にもなった。その所為で、学校行事に何かと借り出され、この入学式もその良い例だった。
 この講堂には上級生はいない、ただ新しく入ってきた新一年生達だけが学園長に拠る長々しく退屈極まりない儀式の犠牲になっていた。
 全寮制のこの学園は、生徒会や生徒会長と違った力を、生活の基盤となる寮の代表が握っていた。
 正直、差して興味があった訳では無い。しかしそれ以上に、断り難かったので引き受けざる得なかった、と言うのが心情だ。だから挨拶をする必要性を、言われなくても分かっている。
「何だ?」
 学園長の次に挨拶をする為に舞台の袖に立っていた俺の上着の袖を、千秋は引っ張りながら言ったのだ。
 無言で、舞台の下に広がる黒いラインを眺める。同じ濃紺の詰襟に黒い頭の光景の中には、茶髪など別世界のものだった。
 クローンのような生き物達に一体何があると言うのか、訝しげに千秋を振り返る。興味深そうに口元を引き上げた千秋の指差す方向を見る為に、もう一度首を戻した。
「だから、何だ?」
「一番、端っこ」
「? …… ――― ぁ ―――」
 無意識に口から零れた、声。
 その時何故か、初めてこの宇宙船を見上げた情景を思い起こした。
 暗い暗い、宇宙色に染められた濃度の濃い月夜の晩、初めて見上げたあの宇宙を。

「造り物」

 ボソッ、と千秋の漏らした言葉に、反射的に反応する。
 それが過剰になってしまったのは、きっと同じ事を考えていたからなのか。
「綺麗、だけど……あれじゃあ何だか……何だな」
 支離滅裂な千秋の台詞にしかし、これ以上無い程の意味が伝わる。
 講堂に並ぶパイプ椅子の一番端の列には、天窓から差す光が色彩を変化させていた。



 騒騒ざわざわ 騒騒ざわざわ   



 聞こえてくる音の発信源は、分からない。
 でも、それ・・は確かに存在していて、酷く落ち着かなくさせた。
「直江?」
「え?あぁ…何でもない」
 咄嗟に取り繕ったのを、訝しく思われないだろうか。
 この友人、千秋はこんな危機管理能力など欠片も持ち合わせていないだろうノンビリした良家の子弟が多く集まる学園には珍しく、鋭い思考と感性を持っていた。
 棘のある辛辣さと硬質な攻撃性を普段は薄めて見せているけれど、たまに心を許せる相手――この場合自分なのだが――の前でそれを隠さない。
その必要が無いのを、分かっているからだろう。そんな千秋だったから、この時の不可解な心の動きを読まれてないか怯んでしまったのだ。
 しかし千秋は直ぐに興味を失ったのか、不謹慎にも欠伸を盛大に漏らしながら背もたれに躯を寄り掛からせる。
 俺も直ぐそれ・・から目を逸らしたが、意識の中に根付いてしまった機械の様な美貌と――そこに確かに存在していた虚無の空洞から、意識は捕らえられたままだったのだった。



 そして入学式が終わって明くる日には、自然と彼の名前は俺の耳に入っていた。





 ――仰木高耶――





 それが、あの「造り物」の名前であった――