10
八月の一日は、静寂に包まれている。だからこのまま、静かに時間を流れて行く、行けると思っていた。
成田を伴って彼が再び寮に戻って来てから、一週間が過ぎた。
あれから、彼に部屋に足を運んでいない。成田が彼の部屋に滞在している所為もあるが、そこで何が起こっているのか俺には知る術は無かった。
彼を玩具″と言い切った男。ただ、毎晩彼の方から俺の部屋にやって来る。
静かにノックの音がして、同じ様に静かにドアが開く。入ってきた彼をベッド突き飛ばし、首筋に噛み付いてやると、薄っすら血が滲んだ。
その甘さに、陶酔感を覚える。
腹を蹴り上げると、彼は苦しそうに躯を丸めるのだ。
性交、と呼ぶには余りにも哀しい行為。全てが終わり彼が出て行くまで、一切会話は無かった。それでも、多分幸せだったのだ、彼と自分は。そんな日が、永遠に続くのだと、錯覚していた。
カーテンを閉め忘れた所為で、何時もより早い時間に目が覚めた。窓から差し込む太陽光線は、目を鮮やかに焼いた。ダルい躯を起こすと同時に鳴ったノックの音が、一気に覚醒を促す。
「……誰、だ?」
彼ならば、返事は返さない。彼では無い、他の誰か。自分の勘がそう判断する。
「起きてた?」
入ってきたのは一番見たく無い顔―――成田であった。
藤棚の下で千秋を交えて話しをした日から、初めて顔を合わせる事になる。寮を合わせた学園内、カフェテリアでも何故か会う事が無かったからだ。
「何の用だ」
もう、不快感を隠す余裕は無かった。彼の部屋で何が起こっているのか、その事は常に思考を蝕んでいたから。
「挨拶」
「え?」
ドアに寄り掛かり不敵な嗤いを浮かべる成田を、真っ直ぐ見返す。
「だから、用事出来アメリカ戻んなくっちゃなんなくなったからさ、もっとここにいたかったけど」
仕様が無いよね、と肩を竦める成田を見て真っ先に頭に浮んだのは、当然彼の事だ。
「だから高耶は、おれからは開放されるね、嬉しい?」
おれからは″と言う言葉に、心臓が痛む。
「でもさ、また新しいおれ″が次に来るんだから、意味無いよな……朝食まだだろ?おれもまだだから一緒に行かない?」
明るい調子で、成田は言う。
「……」
本当ならこの男と一緒になんて、少しの間でもいたくは無いが、もっともっと、俺には訊くべき事があると感じ無言で目線で促す成田の後を追った。
広い空間は白い床、白い壁、白い天井に覆われていて、そこに差す朝の日光が目に反射して酷く眩しい。
カフェテリアにはもう時間が外れていた為、オレと成田の他には誰もいなかった。何時もよりかなり規模の小さいバイキングでベーコンとスクランブルエッグ、クロワッサンとアップルジュースをトレイに乗せて、中央よりやや窓際に近いテーブルに着く。
ギリギリで日光の届かないテーブルの上には、乾いた夏の陰が落ちていた。成田はオレンヂと少しだけとったポテトサラダを、皿の上でフォークで玩んでいる。
「何で高耶はアンタに拘ってるんだろうね。あの痣付けたのアンタだろ?」
帰省して直ぐに、高耶の躯に沢山あった、と成田は笑った。
「だったら?」
はぐらかす必要も無いと思い、抑揚の無い声で答える。
「痕)見てさ、ああいう事すんのってどんな気持ちなんだろって思ってさ、おれも色々やってみた。高耶全然抵抗しないし。ま抵抗″って事事態アイツの中に存在しないらしいけど」
「……」
クスクス愉しそうに笑いながら話す成田の横で、黙々とフォークを口に運んだ。
一体、コイツは何を言いたいのか。そんな俺の考えを読んだのか、成田は手を止めて丸いバウハウス様式の白いテーブルの真正面から、俺の顔を覗き込んだ。
「安心しろよ、おれも何も知らないから」
「え?」
何か重要な事を聞いた気がして、途端に心拍が跳ね上がる。それは確実に彼に関係しているもので、手の止まった俺を見て、成田はクスクス笑いを漏らした。
「な、千秋」
呼び掛けは、俺の向こう側へのものだった。振り返って見た姿は呼んだ名前通り、良く見知った友人のもので。
「千秋」
「仰木は?」
俺の問い掛けには答えずに、開口一番冷めた声で訊る、否、詰問してきた。
「何でだ?仰木君にに何の用がある?」
冷静を装っていても、酷く動揺しているのが分かる。多分この聡い友人にも、そんな心の動きが分かってしまっているだろう。
「仰木君?それ誰の事言ってんだ?直江」
それは厭な、感じだった。
「……」
口調は軽いが、見詰めてくる眸が狂気走っている。その瞬間、夏の午前の光の中で、ボンヤリと赫く染まったものが浮き上がっていた。それは突然の現象で、今まで守っていた緑達が一瞬にして消え、
「千秋」
暗黒の中に、
「千秋」
放り出されてしまった。
聞いては、いけない。
聞いたらその瞬間、全てが破壊れてしまう。
「直江、聞けよ」
ダメだ
終わって、しまう
「仰木高耶″はな―――」
言わないでくれ
「――――とっくの昔に死んでんだよ」
嗚呼