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 外出するのは午後なので、午前中は下調べに費やした。直江は自分のPCを立ち上げると、データを呼び出しチェックしていく。無論事前にほぼ資料は頭に入っているのだが、完璧主義の男にとって念を入れておくのは当然の作業だった。初日だと言うのに、男には戸惑いやたどたどしさは見当たらない。まるで随分以前から働いていた様だ。
「はい」
 真横で声がして直江が顔を上げると、そこにはまだ若い女子社員が立っていた。直江のキュービックの中に入り後からPCを覗き込んでいる。真面目ー、と感心しつつ何かを差し出した。
「お茶、飲む?」
「…はい」
 飾り気の無い笑みに誘われて、直江は猫の絵の付いているマグカップを受け取ってしまう。
「ま、今日は特別、歓迎のお茶、って事で」
 そう言いながらその女子社員は、直江の隣のデスクに腰を降ろす。制服を着ていない所を見ると、事務では無いらしい。この課では男は皆スーツだが、女は事務は制服、営業は私服、となっている。規則として決まっている訳では無いが、自然そうなっていると直江は聞いていた。
 この課は社内でも優秀な人間が集まっている。仕事も時期によっては過酷で、営業達は体力能力、両方を備えていなければやっていけない、そう前の部署の先輩に当たる男が嫌味混じりに言っていたのを思い出す。そんな中で、この直江と変らないだろう女が働いているのか、と意外に思った。無論顔に出したりしないのだが。
「あたし森野、って言うの。数少ない同期、って事で宜しく」
「同期?」
「そ、今年度入社」
「そう、ですか」
「何、同期なんだから敬語じゃなくっていいよ」
 そう言ってケラケラ笑う女を、直江は不思議な気持ちで眺めてしまう。
 先程挨拶した時に、数少ない女子社員達の目の色が変ったのは、直江の意識の外だった。それはこの23年の人生で慣れ切った視線だったので、それに関しては麻痺と言うか、無意識に遮断しているのだ。
 この森野、と言う女からは慣れた、媚びる空気が全く感じられない。それは直江にとって新鮮で、しかも嫌味無くものを勧める雰囲気といい、意外に出来る人間かもしれない、そう判断した。
「ねぇねぇ、さっき聞こえたんだけど、仰木さんと外回り行くんだって?」
「えぇそうです」
「だーからー、敬語はいい、って言ってのに」
 そう言われても直江は、肩を竦めるだけだ。『敬語』は別に直江にとって、敬う言葉では無い。実家が寺をやっていて、幼い頃からそれが普通だったのだ。流石に学校へ行っている時は使っていなかったが、社会人になりそれは益々直江の定着した。だから世間で言う『敬語』が当たり前の『社会』は直江にとって、やり易い世界なのだ。
 だが中には敬語を使われて馬鹿にされている、と感じる者もいた。それは偏に直江の慇懃無礼な態度が現れているからだろう。
「ま、いいけどさ……仰木さんと誰んトコ行くの?」
 何故かコソコソと腰を屈めて周りからは見えないように、沙織はしていた。
「宮崎様、と言っていました」
 隠す事では無いので、直江はそのままを答える。それに沙織の方がここでは長い、なので何か情報が入るかもしれない、そうとも思った。
「ああ、あれか」
 宮崎、と聞き沙織は意味あり気に頷く。
「何か?」
「うーん、あたし一度契約ん時会った事あるんだけどさ、奥さんが煩そーなんだ。設備は最高級で、でもお安く、なーんて出来る訳無いじゃんね」
「そうですね」
 確かに言う通りだったので、適当に相槌を打つ。
 この森野の情報は役に立つ。今の言葉だけで今日会う客の性質が何となく分かったからだ。金を出し惜しみするが、プライドだけは高い……そんな類だろう。
「でもさ、仰木マジックがあればね」
 うふふふ、と愉しそうに笑う沙織の言葉に直江は反応した。
「仰木、マジック?」
「へー初めて反応示したー」
「……」
 クスクス笑う沙織に、やはりこの女はヤリ手なのだと直江は確信した。反応は同じでも、それまでの会話は適当流していた。そして今初めて直江は本心から興味を持ったからだ。そんな男の顔の裏を、沙織は自然に・・・掴んでいた。
「知りたい?」
「…えぇ、出来れば」
 意地悪気に笑う沙織に、直江は無表情で答えた。それでも楽しそうに沙織は含み笑いを漏らした。
「ふふふふ…じゃあ教えてあげよう」
「……」
「あのね、仰木さんってどう思った?」
「え?」
「だから、さっき会ったじゃん、で、どう思った?」
「…どう、って…」
 会ったばかりで性格や仕事振りが分かる筈も無く。だが、ドアの外で観察していた時、確かに視線は交差した。その時奇妙な感覚を覚えたのを、直江は意図的に抹殺したのだ。

「可愛い、でしょ」

「……可愛い?」
 この場に不似合いな言葉に、自然眉根が寄ってしまう。だがそう言われ直江は、高耶の顔を思い浮かべた。が、そこで殆ど顔を覚えていない事に気付く。
「……」
 目が合ったのはほんの一瞬、だがその重さを直江は感じていた。
 眸――――大きいが切れ長の眸の黒目は、闇の様に暗い世界で。吸い込まれそうなそれを直江は、確かに深く印象に残している。だが眸以外のものが全く頭に浮かばないのだ。それは即ち、余りに眸が印象的だった、と言う事になる。
「……」
 内心混乱している直江を置いて、妙に機嫌の良い沙織の説明は続いた。
「性格もねー可愛いんだよねー、優しいし天然っぽいとこもあるけどそれがまたマニアには堪んないって感じで。ちょっとツッぱったとこもあってそこもまた少年っぽくって……」
「……」
 延々続きそうな沙織の演説を適当に聞きながら、直江は自分の聞きたい部分を口にした。
「仕事は?」
「え?ああ仕事は実はデキるんだよねこれが。可愛いのに仕事も出来る、仰木さんはうちのアイドルですからー」
「……」
 テンションの高い沙織に引き気味になったが、初めの言葉が引っ掛かっていたのでそれを訊いてみた。
「マジック、って?」
「そうそう、仰木マジックッ!あのね、気難しい客とか煩い客とか、怒らせちゃった客とか、仰木さんが対応すると、なーんな収まっちゃうんだ、だからマジック」
「…そう」
 言われて直江は、高耶のいるだろう方向に目を上げた。実際キュービックの壁があるので見える筈が無いのに、無意識の内にしてしまった。
「あ、別にあたしは仰木さん狙ってる訳じゃないからね……不倫はしない主義なの。それにやっぱりあたしは成田課長がいいし!」
 最後の方は殆ど耳に入って来なかった。それよりもその前の『不倫』の言葉に、え?と首を傾げてしまう。だが意味が分かると、直江は見る見る険しい表情に変ってしまった。
「……不倫、ってもしかして……」
「ふふふん」
 予想通り直江が驚いたのが嬉しいのか、沙織は得意そうに鼻を鳴らす。
「そ、実は仰木さん、何と結婚してるんでしたーッ!」
「……」
 仰木高耶、歳は25だと聞いている。多少早いがそれでも年を聞けば不思議では無い。だが、あの高耶が結婚……どしても結び付かない。そんな直江の心境が読めるのか、沙織はうんうん、頷いている。
「そーだよね、普通に考えれば全然不思議じゃないんだけど、仰木さんが、って聞くと何かさ……えッ!って感じなんだよね」
「…そう、ですね」
「あは、やっぱ直江さんもそう思う?」
「えぇ」
「あ、ヤハい、これ以上サボってたら成田課長に怒られちゃう……でも怒られてもちょとだけ嬉しいんだけどね」
 ヘヘヘ、と笑いながら沙織は、頭が出ない様腰を屈めて直江のキュービックを出て行ってしまう。後に残されたのは、何処と無く釈然としない直江だけだった。








 午後になり高耶は、成田の指示通り直江を連れて客の家へ出向いた。鞄には大量のサンプルやカタログ資料が入っており、直江のそれにもまた同様に入っている。肩から提げているので、ズッシリとした重みが高耶に掛かってくる。だがもう慣れた、最初の頃はキツかったのだが。
「……」
 チラ、と直江を盗み見る。
 今日初めての新人は、高耶よりも重い鞄を持っている筈なのに全く負担を感じていない顔をしていた。それが何だか負けている様で、何となく複雑だった。
 縦も横も完全に劣った体格をしているのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、男として面白くない気持ちは当然ある。そんな考え自体が子供っぽいと、分かっているのだが。
 移動は電車で、降りた駅は郊外の高級住宅街のある街だ。そこから徒歩で10分程で目的地へ着いた。
「ここだ」
 高耶が足を止めたのは閑静な住宅街の一角、2階建ての洋館だった。広さはあるが、築年数はかなりいってそうだ。
「直江」
「はい」
 インターフォンを押そうとした高耶は、その前に直江を振り返った。
「あのな、直江は今日初めてだから、黙って見てて」
「はい」
「……いや、直江が別に何も出来無い、ってんんじゃないんだ。課長が引っ張ってきた位だからもう、凄いって思うしでもほら初めてだからさ」
 直江の返事はまるで機会音の様で、何故か高耶は慌てて言い訳をしてしまう。
「分かっています」
「うん……」
 それに対する返事もまた同じもので、高耶は溜息を何とか噛み殺す。
 この妙な男前の新人が、どうも苦手だ。
 嫌い、とは違う。はっきり言って、高耶は直江を嫌っていない。好き嫌いが分かる程知らないし、元々高耶は余り人を『嫌い』にならないのだ。
 苦手、とは思うが、嫌い、と誰かを思った事はかなり少ない。こんな所が天然たる所以なのだと、千秋などは分っているが当然高耶本人が知る筈もなかった。
 ふぅ、と深く深呼吸。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
 今度こそ高耶は、インターフォンのボタンを押したのだった。




「今日はわざわざお時間ありがとうございます」
 まず玄関で深く頭を下げると、直江も習って腰を曲げる。客は50代の夫婦で、子供が皆独立したので、2人で住むには広すぎる家を売り新しい少し小さめの家を建てる事にしたと言う。
 リビングに通され宮崎夫妻が並び、向かいに高耶と直江が座った。
 まず高耶は鞄から何枚かの書類を出す。
「今日はキッチンについてお話したいと思います……まずこれば絶対、と言うご希望はありますでしょうか」
 キッチンを使う者が決めるのが自然だ、なので高耶は当然の様に妻である宮崎夫人に向かっている。
「?」
 だが、何故か婦人は、高耶の方を向いていなかった。
「……」
 理由は直ぐに判明する。見た目上品は中年女性の目は、直江に釘付けだったのだ。
「……奥様……」
 確かに直江は男前で、人目、特に女の目を惹き付ける。どうやらそれに年齢制限は無い、と高耶は心の中で納得してしまった。
「あ、はいはいそうね……私は絶対食洗機は欲しいの、それに大きいオーブンも、シンクは外国のがいいわ、日本のよりもおしゃれな感じがしないかしら」
 捲くし立てる内容に、高耶は内心困ったな、と思った。
 彼女は『インポートもの』はおしゃれ、と思っているようだ。だが、おしゃれ、と言う言葉を使う事自体既にそうではないとは分からないらしい。無論高耶はそんな事は思わないが、全部希望を叶えるのは無理だな、とこっそり溜息を吐いた。
「……」
 厚化粧の女の要求を、高耶は真剣に聞いている。そして婦人はあれもこれも、と際限なく知っている限りの言葉を並べた。それから漸く満足したのか、自分の前にあるお茶を飲んだ。
「奥様、今言った条件ですと、スペース的に無理があります」
 全て聞いた上で高耶がそう言うと、途端に婦人の眉が吊り上った。 それでも高耶は冷静だ。
「それを何とかするのがあなたの仕事でしょう?こっちは高いお金払ってるんだから、ちゃんと仕事してよね」
「……」
 勝手な言い様に、直江の眉がピク、と動いた。だが高耶は初めから分かっていたのか、穏やかな表情を崩さない。夫の方はキッチンにはノータッチなのか、一切口を出してこなかった。
「初めっからあなたみたいな若い人じゃ嫌だったのよ。今時の若い人っていい加減だし態度も悪いし……」
「奥様、シンク自体を少し小さくすれば、食器棚を置けます」
 そう言ったのは、直江だった。それは女を黙らせる為で、これ以上の戯言を聞きたくは無かった。
「直江?」
 客の前で驚いた顔は出来無い。なので高耶はそれだけ言い黙って直江を見守った。すると男は、鞄の中から設計図を取り出し、目の前で図面を引き出したのだった。






「助かったよ、確かにああやって目の前で図面引いて説明されれば説得力あるよな」
 もっと揉めると思っていた高耶だが、意外にも直江が大まかな話を纏めてしまったのだ。初めは驚いた目で見ていた高耶だったが、直ぐに感心して楽しそうな顔に変っていった。
「でも満足してくれて良かった、宮崎様、喜んでたし」
「……」
「直江?」
 だが嬉しそうに喋る高耶に、直江は怪訝、と言うか不可思議な表情で見返してくる。首を傾げた高耶に、直江はクス、と笑みを漏らした。
「直江?」
「…いや…今理解しましたよ今」
「へ?」
「気にしないでください」
 そう言って、また直江は笑った。
「……」
「仰木さん?」
 高耶も不思議そうな顔から、見る見る嬉しそうなものに変化していく。
「うん……いや、何か初めてみたから」
「何が?」
「直江が笑うの」
「……」
 途端にス、と男の顔から表情が消えてしまった。
「あーあ」
 それを見て、高耶は首を竦めてしまう。
「何だよケチだな、おまえすっごい男前なんだから、もっと愛想良く……あ、クールなトコもまたウケる訳だ……宮崎様もうっとりしてたもんな」
「止めてください」
「えへへへ」
 何だか、隙の無い完璧に見えた男の一面が見れた気がして、高耶は上機嫌だ。直江も直江で妙に納得していた、仰木さんて可愛いんだよね―――そう言っていた沙織の言葉に、だ。
「……」
 だがそんな風に考えてしまった自分にハッ、となり、直江は意識的に不機嫌な顔を作る。
「仰木さんも、設計士の資格取ったらどうですか?便利ですよ」
「……でもさ……難しいの知っているし」
 モゴモゴ言い訳がましく言う高耶を、ピシャリと抑える。
「何言ってんですか、だから取るんでしょう。難しいから役に立つんです」
「……」
「何ですか?」
 今度はジロジロ横から見上げてくる高耶に、直江の眉根が寄ってしまう。
「……何か、色んな直江の顔見た気分」
 初めに見た取っ付く難い近寄り難い空気、薄く笑い緩める顔、それに今の様にムッとして何処か子供っぽい表情。
「ッ」
「得したなッ」
 嬉しそうに言う高耶に、カッ、と顔が熱くなった、と同時に酷く居心地が悪くなってしまう。だが不愉快さが全く無いのが不思議だ。それでも慣れない感覚に、直江は不機嫌面を作るしかない。
「エヘヘ……わッ?!」
 笑いながら身長差の所為で下から覗き込んでくる高耶は、いきなり引き寄せられ声を上げてしまった。
「危ない」
「え?」
 怒った顔で呟く直江に、高耶はその腕の中から恐る恐る男が見ているだろう背後を振り返った。
「あ」
 そこはもう車道で、信号も赤だった。余所見をしていた高耶の直ぐ脇を、車が走っていったのだ。
「あ……りがとう……」
 ホー、と安堵の息を吐く高耶に、直江はぶっちょう面のまま吐き捨てる。
「気を付けて下さい、子供じゃないんだから」
 言いながら腕の中から解放された高耶は、恥ずかしいのか唇を尖らせた。
「はい……」
「?」
 途端にシュン、としてしまう高耶の足元に何か落ちている。それれを拾った直江は妙な顔をしていたらしい、
「直江?」
 高耶の顔が、心配そうな色に変ったからだ。
「いや……これ仰木さんのですか?」
 そう言って差し出すと、高耶は小さくあ、と声を出した。
「うん……ありがとう……」
 それは一枚の写真で、それから目を離さずに高耶は礼を言う。だが直江は確りと見た、そこにまだ2歳位の小さな子供が楽しそうに笑っていたのを。
「それ」
 信号が青になり、2人は並んで歩いて行く。今日は現場から直帰する予定なので、このまま駅で別れてしまうのだ。歩きながら、何故か直江はその写真が酷く気に掛ってしまった。だから別れる前にどうしても訊いておきたかった。
 子供が確かに似ていたからだ―――高耶に。
「仰木さん、その子は」
「ああ、オレの息子」
 照れ笑いしながら言う高耶は本当に幸せそうで、それを見た直江の中にドロリ、としたもの流れ込んでくる。それは腐敗の臭いを放ち、直江を益々不快にしていった。だがそんな事知る筈も無い高耶は、嬉しそうに続けていく。
「可愛いだろ、景虎、って言うんだ。まだ2歳だけど頭良いんだよな」
「……」
 親バカ丸出しで言う高耶に腹が立つ……でも何故?
「オレ頭悪いからきっと、綾子に似たんだ」
「……綾子?」

「うん、オレの奥さん」

「……」
 そうだ、確かに沙織は言っていた、高耶は既婚者だと。だがこんな子供の様な人間を前にして、直江はすっかりその事実を忘れていたのだ。
 高耶は確かに25にしては若く見える。スーツを着ていなければ大学生でも通るだろう。顔は派手では無いが整っているし、よく見れば酷く印象的な容姿を持っている。だが直江が言う『子供の様』とは、その中身の事だった。
 今日の仕事、終った後絶対に高耶から叱咤、と言うよりも怒りを買うと思っていた。当然だ、横から口を出し、高耶の取った仕事を横取りした形になってしまったのだから。客は満足してくれたが、高耶にすればはそうはいかない。
 理不尽な怒りや憎悪、嫉妬は今まで常に向けられてきた。入社してからは尚更だ。自分の能力の無さを下の者にぶつける事で気を紛らわす低能な人間達、そんな者達を直江は見下し嫌ってきた。そんな事に慣れていたので、今回も高耶から余計な真似をするな、と怒りをぶつけられると思っていたのだ。
 だが高耶は違った。仕事が上手く行った事を喜び、横から口を出し纏めた直江を誉めたのだ。恐らく、否、間違い無く高耶1人でも同じ様に片付いただろう。それでも高耶は純粋に喜んだのだ、直江を。その上初めに侮辱した女に悪態も吐かずに、反対に満足してくれたのを本心から喜んでいた。
 正直、馬鹿だと思う。
 そんな甘い考えで社会は渡っていけないからだ。皆他人を蹴落とし出し、抜く事しか考えていない。足を引っ張り他人の成功を阻むのだ。
 素直で優しい―――だからそんなもの、何の役にも立たない。だから高耶は愚かで馬鹿な―――
「直江?」
「……」
 そう高耶に対して・・・・・・考える自分に・・・・・・、何故か不快を感じてしまった。
 そんな自分を認めたくなくて、直江は無理矢理口元に笑いを貼り付ける。
「意外ですね、結婚されてるなんて」
「そうか?もう3年経つんだぜ?」
 高耶の表情は雄弁に『幸せ』を語っている。
「3年?」
「ああ」
「じゃあ……卒業して直ぐに?」
「ああ」
 今度ははにかんだ笑みを見せる。いい年した男がそんな顔をしたら不気味なだけなのだが、何故か高耶がすると自然に見えるのが不思議だ。
 仰木さん、可愛いよね―――
「……」
 再び浮かぶ声を掻き消し、直江は黙々と歩き続けたのだった。






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