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「仰木さん、これちょっと」
「え?」
 差し出された書類を受け取り、暫しの間高耶は目を通す。それからこれはあーだ、あれはこーだ、と意見を交わし合い直江は自分のキュービックに戻っていった。
「何かさ、マジに懐かれたもんだな」
「へ?」
 一体何時から見ていたのか、椅子に座ってディスプレイを見てた高耶の背中に覆い被さりながら千秋が呟いた。
「千秋?」
 顔だけ振り返ると、そこには何処か面白くない顔をした千秋がいる。
「まーさ、こーもあからさまだと感心するね」
 ふふん、と鼻で嗤う千秋に高耶は顔を顰めた。
「?」
「あいつも人の子だった訳ね」
「千秋?お前何言ってんだ?あいつって?」
 不可解な顔をしながら千秋から解放された高耶は、椅子に座ったまま回転し向き直る。
「あいつ?」
「そ、あいつ、直江」
「直江?」
 意外な名前に、高耶は首を傾げてしまった。
「言ってる意味ぶかんねぇよ、何?直江があからさまって?何に?」
「…お前…マジで分かんねぇのかよ…」
 今度は呆れてます、とそれこそあからさまにしている千秋に、高耶はムッ、とした。
「だからッ、オレに分かる様に説明しろって」
「はいはい、高耶君はちょーっと頭が緩いからねー」
「……喧嘩売ってんのかてめぇ」
「全然」
「…もう…いいから言えって」
「何?直江の事は気になる、ってやつ?」
 ニヤニヤと意味あり気に千秋は笑ったが、言われた高耶の方はと言えば、
「はあ?当たり前だろ?」
 と、まるで悪びれない。
「……」
 これには千秋も、溜息が零れると言うものだ。
「ま、そこが『高耶』だしな…そうじゃなかったら高耶じゃねぇしな……」
「何ブツブツ言ってんだよ、早く吐け」
「へぇへぇ」
 やっと説明する気になった千秋だったが、丁度そこへ邪魔が入ってしまう。
「仰木」
 少し離れた場所から、声が飛んできた。
「はい?」
 成田だった。
「ちょっといいかな」
 柔らかい物言いだが、これに騙され痛い目に合った者は数え切れないのを千秋はよく知っていた。だからぽんぽん、と高耶の背中を叩き形ばかりの慰めをしてやる。
「じゃあ話は昼飯ん時な、そん時教えてやるから」
「分かった」
 早口で言葉を交わすと、高耶は慌てて成田のデスクへ向かったのだった。






 何でも買収先の社長がグルメで、社員食堂の味は仕事の士気に関わる、と主張しウエスギの社食のレベルはかなり高い。それは仕事で訪れる他社の者達の間でも有名で、ウエスギを訪れる殆どの者は外に食事へ行かず社食で食事をするのだ。
「今日のランチは何かなー」
 ポケットに手を突っ込んだ千秋と社食に足を運んだ高耶は、クンクンと鼻を鳴らした。
「お前は何時もの愛妻弁当じゃん、ランチは関係ねぇんじゃねーの?」
 そう言われた高耶は、抱えている弁当箱をギュ、と抱え込む。
「そうだけど、いいだろ楽しみなんだよ」
 社食に入って混み合う席をウロウロと彷徨う2人に、チラチラと周りから視線が飛んでいるのに気付いているのは千秋だけだ。直江程では無いが千秋は長身だ、180は越えている。しかも簡単に言うと顔が良いので、女子社員の間では名前と顔だけは知られていた。背が高く顔も良い、その上仕事も出来て女に優しい。これだけ揃えばモテない筈が無い。
 一方高耶の方は、千秋程派手では無いが涼しげで端正な顔立ちだ。パッと見気付かないが、一旦気付くと見入ってしまう魅力を持っている。顔が小さい所為でそれ程大きく見えないが、それでも175はあるのだ。
 営業部の陰でアイドル、と言われる程可愛い性格の男は、目敏い女子社員にはチェックされている。だが無論既婚者なのは有名で、表立った誘いは皆無だ。その所為で高耶は自分が適度にモテている事実を全く知らない。
 可愛い性格、と言ってもそれは世間で言われている分かり易い、素直で純粋、とは少し違う。それでも実際高耶と付き合いのある者達は素直で純粋、と思うのだ。
 気は強いし口も悪い、結構キツイ事も平気で言ったりするし手も早いし、性格も『男』としてしっかりしている。だが、それでも不思議と『可愛い』と思わせてしまうものが、高耶には確かにあった。沙織に言わせれば間違いなく『性格自体の造りが可愛い』と答えるだろう。
「お、エビチリ定食だ……千秋、これにしろよ、そんで俺に杏仁よこせ」
「いいけどさ……お前甘いもん好きだよな」
「悪いか」
「別にぃ……あ、あそこ開いてる。俺並んでくるからお前席取っとけよ」
「OK」
 そう言い千秋はデリの方へ並び、高耶は会議室の様に長く並ぶテーブルへ向かった。
 千秋が言った通り丁度2つ空いている場所がある。そこへ高耶が腰を降ろし何気に横を向くと、そこにはたった今食事を始めた直江が座っていた。
「直江?」
「ああ、仰木さんもお昼ですか」
「おう」
 相変わらず無表情だが、そんな直江に高耶はもう慣れていた。動かない中での表情の変化を読み取る事が、楽しみになっている位なのだ。
「もう直ぐ千秋も来るぜ。あ、オレお茶持ってくるからここ2こ席、取っといてくれよ」
「いいですよ」
「あ、おまえもお茶飲む?」
 見ると直江の手の中の湯呑みは既に空で、だから高耶は訊いてみる。
「お願いします」
「おっけー」
 素直でよろしい。
 ニッコリ笑いセルフの飲み物コーナーえ消える高耶の背中を、直江は暫く見詰めていた。何となく、目が離し難い背中だったからだ。他に他意は無い……筈だ。
 ふぅ、と溜息を吐き直江は暖かい内に、と食事を始める。何口か食べない内に高耶が戻って来た。
「はいよ」
「ありがとうございます」
「いいって」
 お茶を渡し腰を降ろすと、少し離れた所にトレイを持った千秋を見付ける。
「千秋ー、ここだここッ」
 手を振って声を上げると、千秋は一瞬目を見開いた。確かに直江を捕らえた瞬間に、だ。それに気付いたのは直江だけで、何となく意味も分かってしまった。
「何よ直江、お前もいたの」
「えぇ」
 チラ、とも視線を流さず直江は答える。その可愛気の無さは天晴れで千秋は笑いたくなった。
 実は千秋は、割とこの愛想の欠片も無い新人を気に入っている。無論それを直江が喜ぶどころか嫌そうな顔をするのは分かっているのだが。そんな顔を見てやりたくて、今度言ってやろうと思っているのだが。
「これオレのな」
「へぇへぇ」
 待ってましたッ!とばかりに伸びた手が掴んだのは、小さいココットの容器に似ている白い器だ。
「仰木さん、杏仁豆腐好きなんですか?」
「ああ、結構ハマってるな」
「って言うか、お前甘いもん全般ハマってんじゃん」 
 横から呆れて言う千秋を睨むと、いいだろ、と唇を尖らせる。そんな高耶を直江はジッ、と見ていた。
「……」
「何?」
「じゃあ俺のも食いますか?」
「え?いいの?おまえも甘いの嫌い?」
「嫌い、って程じゃあないんですけど。そうですね、出来れば食べない方がいいです」
「それって嫌い、って言うんじゃね?」
「千秋は煩い」
「ケッ、へーへー、2人の邪魔しちゃって悪かったな」
「?何言ってんのお前」
 本気で首を傾げる高耶の横で、直江は一瞬千秋に対して剣呑な視線を送る。それを面白そうに受け取ると、千秋はサクサク食事を始めてしまった。
「?」
 何となく妙な空気を感じ、高耶は益々首を傾げてしまう。
「いいからいいから、お前はしっかり綾ちゃん弁当食いなさいな」
「言われなくても食うよッ」
 馬鹿にされたのだけは分かったのか、高耶は苛立ち気に赤いバンダナを開いた。中からは二段重ねの弁当箱が現れる。
 それは漆塗りの重厚なイメージの弁当箱で、大きさもあった。途端に笑みが浮かんだ高耶は、早速蓋を開く。
「お、美味そ……流石綾ちゃん」
「……おまえさ、ちょっと馴れ馴れしい」
「いいだろー、俺だってオトモダチだもん」
「だもん、とか言うなキモい」
 だが、千秋の言う通り料理上手の綾子の作る弁当は、見た目も綺麗でとても美味しそうだ。
「どれどれ?いっつも出汁巻き卵入ってんな、ほんとお前、これ好きね」
「おまえにはやらん……直江一個食うか?」
「……」
「直江?」
「え?……いえ……結構です」
「何だよ、遠慮すんなって」
「してませんよ」
 微かだが苦笑を浮かべる直江を珍しそうに見て、千秋も口を挟んできた。
「綾ちゃんの作る玉子焼き、マジで美味いぜ?じゃあ俺が……」
「あッ」
「いただき……美味ッ」
「……」
 勝手に弁当箱から取り上げ素早く食べてしまった千秋を怨めしそうに見て、高耶も仕方無く食事を始めた。
 半分程高耶が食べ終わった頃、1人さっさと食べ終わった千秋は仕事があるので戻って行った。残された高耶と直江は、黙々と食事を続ける。
「あの」
「ん?」
 呼ばれ顔を上げた高耶の口の中には、ホウレン草のソテーが入ったままだ。モゴモゴ言いながらの高耶に、直江は一拍置いてから口を開く。
「仰木さんの奥さん」
「え?ああ……この弁当?」
「はい、何時も作ってくれるんですか?」
「んー、何時もって訳じゃないけど、でも週に3日は作ってくれるんだ」
「へぇ…綾……さん?」
 千秋が綾ちゃん綾ちゃん、と連呼していたのを覚えているのだろう。何処か言い難そうに言う直江に高耶は笑った。
「違う違う、綾子、って言うんだ」
「……」
「直江?」
「いえ……あの、訊いていいですか?」
「何を?」
 次に高耶の箸が選んだのは、真っ赤なプチトマト。躯に良いから、とよく入っている。
「直江?」
 モグモグと食べる事に半分以上意識が向いてしまっている高耶に、直江は諦めて自分も箸を動かした。
「……やっぱりいいです今は……」
「何遠慮してんだよ、じゃあ帰り飯でも食ってくか」
「……そう、ですね」
 少しだけ、直江の表情が動いた気がした。それは本当に些細な変化ででも、それは高耶の勘違いでなかったら『喜』を示している筈で。
「初めてだな」
 だから高耶も嬉しくなってしまう。
「え?」
「直江と帰り飯行くの」
「……はい」
「今日は残業無いだろうし、そしたらどっか行くか」
「ええ……」
 固い表情と声に、高耶は肩を竦め再び愛妻弁当を食べ始めたのだった。






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