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 営業だと言うのに会社外の付き合いや接待が殆ど無いのは、成田の方針だ。それを社員は皆歓迎している。
 泥臭い営業は成田の嫌う所だ。飽く迄も仕事は仕事、として捌いていく。そんなやり方を嫌う古株は少なくないが、そんなもの成田が気にする筈もない。残業をするしないも、本人の判断に任されており徹底した自己管理主義が敷かれていた。
「何食いたい?」
 一緒に会社た出る2人は、とりあえず駅方向へ歩いている。駅の反対側に、飲食店が多くあるのだ。
「俺は何でも」
「何でも、って言われても……あのさ、たまに行く店があんだけど、そこでいいか?」
「はい」
「おまえ、はいばっかだな」
 そう言ってクスクス笑う高耶の無防備な横顔に、

 ふつ

 奇妙な音が、直江の内部で発生する。だがまだ小さい。だから誰も気付いたりしない、直江さえも。
「直ぐ近くなんだ、安いけど旨い酒飲めるんだ……直江は酒は?」
「飲みますよ、普通に」
「普通ねぇ……何か強そうだな」
「そうですね…弱い、と言われた事は無いですね」
「あ、やっぱり強いんだ」
「さぁ」
 直江は内心不思議だった。
 友人と呼べる者は、直江にとって多分1人しかいない。適当に周りと付き合ってきたが、それでもそれは距離が離れてしまえば直ぐに消える程度のもので知り合い、に毛が生えた程度もものだった。そんな中で今でも腐れ縁の続いている人間はたった1人しかいなかった。それを直江は不思議だとも淋しいとも思った事はない。そもそも人付き合い自体煩わしいと思っている。
 外見的にも中身でも、常に他人よりも抜き出ていた生活は、見に覚えの無い負の感情を集めてきた。それが馬鹿馬鹿しく、そんな気持ちが今の直江を作っている。
 そう、人付き合いは直江にとって決して必要では無いのだ。だが……今の状況は何だ。
「腹減ったなー」
 会ってまだ半月、そんな男が今横を歩き何の違和感もなく・・・・・・・・会話をしている。
「……」
 その自然さそのものが、不自然で、
「おまえも減ってない?」
 奇妙だ。
「ええ」
 確かに直江の側で一方的に喋る者は沢山いた、主に女なのだが。それでも話しているのは高耶の方が多いが、それは直江的に、決して一方的ではなかった。
「ここだよ」
「……」
 立ち止まり見上げた高耶の視線の先を直江も見る。
「ここ、ですか」
 そこは小さい居酒屋だった。看板も小さく、ここ繁華街では目立つ風ではない。が、居心地は良さそうだ。
「来いよ」
 止まってしまった直江を促し、高耶はガラガラ、と扉を開き
中へ入っていった。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
 カウンターの中から挨拶してくる料理人に挨拶を返すと、丁度開いていた奥のテーブル席に着く。
「蔵粋と、おまえは?」
「景虎を」
「それと湯葉刺し、生桜海老の掻き揚げ、キンキの煮付け、生春巻き……直江は?」
「俺な何でも」
「ほんと、そればっか」
 クスクス笑っているのだから、不愉快なのではないだろう。そんな高耶に安堵している自分に直江は気付いていない。それから高耶は適当に料理を選び、運ばれてきた酒を飲んだ。
「くらしっく……面白い名前ですね」
「うん、福島の酒でこの前教えてもらったんだ。ちょっと甘いけど美味いぜ?」
 ほら、と差し出されたグラスに、直江は一瞬固まってしまった。まさかこんな風に高耶自身のグラスを勧められると思わなかったからだ。そもそも自分の飲んでいるものを渡された事など、記憶には無い。
「……結構です」
「ふぅん」
 そこへ料理を持ってきた。水菜サラダだ。
「ほら」
 取り皿に適当に取ってやり、直江へ渡す。
「……」
「何?」
 当たり前の様にする高耶の行動に、直江は内心戸惑っていた。酒の時でもそうだったが、こんな風に自然に世話を焼かれるのは初めてだった。
 何故彼は―――
「おまえさ、好き嫌いとかないの?」
「え…そうですね……トマトとか」
 沈んでしまいそうな意識を慌て隠そうとしたので、思わず口に付いてしまった。
「えッ?!」
 思い切り驚く高耶にバツが悪くなり、直江は更に表情を隠してしまう。
「調理されているのは平気なんです、でも生のものは余り…食えない訳じゃあないんですけどね」
 少し早口で言う直江にクスクス笑ってしまった。そんな高耶を恨めしそうに見る直江もまた、楽しい。
 直江が営業に来て、半月経った。長くは無い……と思う。そんな中で高耶は思う、自分が一番仲良くなっていると。これは絶対に自惚れでは無い筈だ。
 子供でも無いのに『仲良し』などと恥ずかしい気がするが、それでもこの言葉が一番しっくりくるのだ。
 嬉しい、と素直に思う。
 どうも直江は周りに誤解されやすい。確かに感情を余り態度や顔に表さないし口数も少ない……と言うか殆ど無い。必要最低限以上話さない。だが中身は優しい男だと高耶は思っていた。
「美味い?」
「はい」
「そうだろ?ここのアンキモは美味いんだぜ」
 それでも、高耶には少しだけだが、動く表情を見せてくれていると思う。
「御待ちどう様……あら仰木さん、今日は奥さんは一緒じゃないの?お友達?」
「ッ」
「はい、今日は家です」
 一瞬、直江の肩が揺れたのを高耶は女将との会話の所為で気付けなかった。
「あらあら、怒られない?」
「大丈夫、ちゃんと言ってきてるから……直江、この人ここの奥さん」
「……」
 軽く一礼すると、50位の女将が顔を綻ばせる。
「随分男前のお友達ねぇ、仰木さんの会社の先輩かしら」
「……」
「……」
 顔馴染みらしい女性の無邪気な一言に、高耶はピキ、と固まった。
「……いえ……」
 辛うじて直江が答えながら高耶とチラ、と見る。
「あら、じゃあ学校の先輩とか」
「……」
「……いえあの」
「オレが先輩なのッ」
 ムキになって高耶が言うと、女将はコロコロ笑った。
「あらあら、仰木さんの方がずっと小さく見えるわねぇ」
「小さい……」
 若い、ではなく小さい。まるで子供に向かって言う言葉だ。確かに女将にとっては高耶は子供の年齢なのだが。それでも妻子もいる身としては、些か情けないものを感じてしまう。
「そんな感じだけど」
 悪気が無いだけに余計高耶にとってはキツい。それでも無理矢理笑みを作り、女将の背中を見送った。
「……」
「……」
 子供の様にムッスリしてしまった高耶に、直江は内心少しだけだがうろたえていた。こんな風に他人に自分の感情が振り回される事が無かった直江は、覚えの無い感情に溜息を吐いてしまう。
「何だよその溜息は」
「俺にあたらないで下さいよ」
「おまえが老けてんのが悪いんだ」
「俺は普通です」
 シレ、と言う直江に、高耶はフン、と鼻を鳴らした。
「仰木さんが子供っぽく見える所為でしょう」
「おまッ」
「冗談です」
 真面目な顔で『冗談です』と言う男に毒気が抜かれてしまった。
「おまえなぁ、ジョークならそう言う顔して言えよ……あ、そうだ、何か聞きたい事あったんだろ?」
「……」
 何気無く高耶が口にした言葉に、直江の周りの温度が急激に下がるのを感じた。高耶までも巻き込むそれに、ブル、と無意識に躯を震わせてしまう。
「直江?」
「……ええ」
 トン、と切子グラスを置いた。途端にス、と直江の表情が消える。その様を目の当たりして、高耶は知らず喉を鳴らした。
「直江?」
「……して」
「え?」
 男の視線はテーブルで、高耶に向いていない。何時も真っ直ぐ見詰めてくる直江が珍しかった。
「仰木さん」
「……」
 直江が動く。
 ゆっくりとゆっくりと、顔を上げる直江の顔高耶の黒目に映っていた。
「ッ」
直江の視線は、まるで暴力だ。真っ直ぐ、痛い程に捻じ込んでくるのだ、何かを。
「……」
 喉の渇きを覚えた高耶は、ふと初めて見詰め合った時を思い出した。あの時、直江はただ感情の無い眸で高耶を観た。そして今の直江の眸からは、あの時あった@度が消えている。その代わり熱く深く、澱んだものが浮かんでいた。そんな男の様子に、胸が酷く騒いでしまう。
 そして、直江が口を開く。


「どうして……結婚したですか……?」


 どうして、結婚したんですか――――


「―――――え?」
 思い詰めていった言葉は、意外なものだった。高耶は面食らって言葉に詰まってしまう。
「どうして、って……」
 そんな事訊かれても……事決まっている……


「……好き、だったから」


「……」
 高耶の口から零れた言葉を直江は、表情を変えずに聞いている。
「好き、だったから……今も好きだ」
 これは本心だ。
 綾子を愛している、大事な妻だ。
「……そう」
 これは一体、何と言う名の感情だろう。

 ふつ
 ふつ

 零れ溢れる感触――――何から?何が?


「オレは綾ちゃんを、綾子を好きで……オレ達は大学違ったけど、バイトが一緒で……1年の時からずっと付き合って、卒業して結婚したんだ」
 拙い高耶の言葉は、何よりも純粋な感情を表していた。
「……」
「直江?」
「……お子さん、景虎君、でしたっけ」
「直江?」
「可愛いですね、あなたによく似ている……本当に似ていた……」
「な、お……」
 声が震えていた。
 ぐらぐらと、沸き立って制御出来なくなる。目の前が赫に染まる錯覚は、不吉で不気味で。

 ふつ 
 ふつ

 奇妙な音は直江の内部から響き何もかも侵食していく。そして、


「仰木さん……これから俺の家へ来てください……ここでは話が出来無い」


 沸点は確実に訪れるのだ。






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