地上に降りた天使の恋は  P.220
     傲慢エリート直江  天使高耶 
        表紙・藤城らいな様
高耶は天界に住む落ちこぼれ天使だ。本当に落ちこ
ぼれてしまいそうになり『課題』で地上へ。そこであ
る人間を幸せにするように、と大天使から命じられる
迷惑なのは、張り切る高耶に付きまとわれる直江
だ。だが、人間直江に現れる変化。そして『己の天使』への執着と狂気。慈愛の生き物である天使の選んだ選択は?
ラブコメ・シリアス・痛く切ない・天界と地上世界



「高耶」
 静かな声である。だが重々しいそれは、背筋を伸ばさせる力があった。
「はい」
「何故呼ばれたのか……分かっているな?」
 チラリ、と見上げられ、高耶の肩が小さく揺れる。
「ぅ……はい……」
 天界における四大天使の一人、謙信の部屋に通された高耶は、先程から萎縮し己の足元を見詰めるばかりだ。
「そなたの成績だ」
 パサッ、とデスクに置かれた書類に、高耶は顔を上げる。そして、ここで使われている幾つかの記号の内の、一つに目に止めた。
記号は羽に似た形をしており、その記号の意味は不可≠ナある。それが三つあると、高耶は非常に拙い立場に立たされてしまうのだ。
「高耶、はっきり言おう羽≠ェ三つある」
「……はい」
 無意識に、ギュッ、と白い服を握り締めてしまう。
 その所為で呼び出しを受けたのは分かっていたが、はっきり告げられるとくるものがあった。
 試験の結果について、こんな風にわざわざ呼び出す事は珍しい。普通は通知で済ましてしまう。
 だから高耶も、何故足を運ばねば……とぶつぶつ文句を零していたのだ。だが謙信の顔を見て、他に何かあるのかもしれない、と内心警戒する。
「そうなると、気味は落第してしまうのだ」
「はい……分かっています」
「分かっている? 本当に分かっているのか?」
 四人いる大天使の中で、この謙信は一番人気がある。優しいだけでなく、良い意味での厳しさも持っていた。
そんな謙信を高耶は尊敬しているのだが、譲は違っていた。
天界(ここ)にいた頃から、気に入らない、と公言していたのだ。先
程もやはり、サボってしまえ、と高耶を唆していた。
「はい……卒業出来ない、と言う事ですよね……」
「……」
 しょんぼり答える高耶をどう思ったのか、謙信はその顔に苦笑を浮かべる。
「高耶」
「はい」
 分かり易く元気の無い高耶に、謙信の苦笑は深くなった。
「そなたはとても真面目で適正度は高い」
「……」
「だがどうしても、私情に流されてしまう所があるのだ」
「はい……」
 それも何となくだが、分かっていた。
 使命の為には、時に己の感情とは違う行動を取らねばならない。分かっていて、高耶は何度もその課題≠ノしくじってしまった。
「ふぅ……」
「……」
 謙信は溜息を吐き、そして高耶は再び俯き謙信の言葉を待つ。
「実は高耶」
「……」
 低くなった声に、高耶はピクリ、と肩を揺らした。
これは、良くない予感である。そう言った予感は、得てして当たってしまうもので、
「落第を二度した者は、更に二年の修行を課す事になったのだ」
 今回もまた、例外では無かったのだ……高耶にとっては不運な事に。
「!」
 二年ッ?!
 これには驚き、勢いよく顔を上げてしまう。
「え? え? でも……ッ」
 高耶は前期も落第している。今回もまた落第してしまった場合、これに当て嵌まってしまうのだ。
 あわあわと狼狽える高耶を気の毒そうに見ながらも、謙信の言葉は非情であった。
「高耶……そう決まったのだよ」
「……」
 言葉を失った高耶は、混乱した頭の中でグルグルと考える。そうか、この事を伝える為に、こうして呼び出されてしまったのか。
 前期に落第してしまった時は羽≠ニなってしまった課題のみを再度チャレンジすればよかった。今回もまた同じだと、高耶は内心高をくくっていたのだ。なのに……なのに……
「二年……」
 これは長い、長過ぎる。
 茫然と呟く高耶に謙信は、深く頷いた。
「そうだ、二度落第になった場合、他の課題も含め一からきっちり教育すべき、との声が上がったのだ」
「……」
 誰だそいつはッ!
 声を大にして言いたい所だが、相手は高耶など足元にも及ばない幹部達なのだ。グッと言葉を飲み込むしかない。
「……」
 がっくりと肩を落とした高耶は、誰が見ても可哀想な位萎れてしまった。そんな高耶に謙信は苦笑する。
「高耶、まだ話は終わっていない」
「……え?」
 これ以上、まだ悪い事があるのか。そんな考えが顔に出てしまい、謙信は思わず吹き出してしまった。
「言った様に、そなたは優秀で適正度も高い」
「……」
 だから何だ、落第は落第なんだろう。
 胡乱な目になる高耶に構わず謙信は続けた。
「確かにこのままでは落第なのだが、今回は特別に救済処置が提案されたのだ」
「救済……ええッ?!」
 救済措置ッ?!
「それってッ?! 謙信様ッ!」
 身を乗り出す高耶に笑いながら、謙信は鷹揚に頷く。
「これから言う課題をクリア出来れば、今回に限り落第を免除すると言う事だ」
「!」
 黒い眸が、大きく見開かれた。そこには、先程まではまるで無かった、キラキラとした光が敷かれている。
「本当ですかッ?!」
「ああ、言っただろう、そなたは有能であると」
「は、はいッ」
 地界まで沈んでしまう程落ち込んでいた気持ち一転、俄然元気が出てきた。
「ありがとうございますッ」
 勢いよく頭を下げる高耶に、謙信はやれやれ、と肩を竦める。
「まだ何も言っていないぞ? これから言う課題をクリアせねば、落第となるのは分かっているのだな?」
「はいッ」
 既に、クリアした気満々な高耶に、謙信は小さく溜息を吐いた。




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 人間全般嫌いだが、子供は特に嫌いだ。直江にとって、唾棄すべき存在である。
 理由は簡単、愚かで浅ましいからだ。この世から絶滅したとしても、何ら問題の無い存在だと、直江は本気で思っている。
 そんな排除の象徴である子供が己の名を呼び、真っ直ぐに駆け寄って来る……当然直江の機嫌は、更に更に、地を這うものとなった。
「……」
 直江からは、負のオーラがだだ流れしている状態である。
 気の弱い者が見れば、ひッ、と声を上げてしまう表情の直江の元に、漸く高耶は辿り着いた。
「よお!」
「……」
直江にとって、腹立たしい一日だった。機嫌は最悪だ。そんな訳で色々と、高耶的には最悪のタイミングであった。
無論、哀れな天使は、そんな人間の事情など知る由もないのである。
「直江!」
「……」
「良かった! やっと会えたな!」
「……」
 ニコニコと、音がするような全開の笑みを向けられ。それを冷たく見詰め返す男に、高耶はおや? と首を傾げた。
 間近に見た高耶の姿に一瞬驚き、そして更に嫌そうな表情になる男を、少年は不思議そうに見詰めている。
「直江、だよな? オレ間違えた?」
「……」
 黙ったままの男に構わず、高耶は背伸びをすると、ズイッ、と顔を近付けてくる。
「……」
 ギョッとし躯を引いた直江の表情が動き、高耶は再び笑顔になった。
「やっぱり直江だ。良かった、オレ間違えてない」
「……」
 一人で納得し嬉しそうな子供に、直江は付き合い切れん、とばかりに強引に歩き出す。そう、こんな子供の相手をする義務など無い。
 それにこの子供は、奇妙極まりなかった。
 上下白いスーツに、同じく白い蝶ネクタイ……そんな恰好の人間を、直江はTV以外で見た事はない。
突然夜道で、そんな奇天烈なの人間に声を掛けられでもすれば、普通は逃げる。何故なら間違いなく、精神が不自由な人種であるからだ。
「……」
「おお?」
 肩を胸で押され、今度は高耶が躯を引く。目を丸くする少年など目に入っていないのか、直江はそのままマンションに向かって歩き始めた。
「ちょっとーちょっとー直江ーどこ行くんだー?」
 慌てて追い掛けるが、何しろコンパスが違う。ズンズン歩く男の横で、高耶は殆ど小走り状態だ。
「……」
「あれ? オレの格好おかしいの?」
「……」
「だって、セイソウ……正装、だろう? 初めまして、の服だよな? 地上では」
「……」
 それでも答えない男に構わず、高耶は懸命に話し掛け続けた。
「なあなあ、帰るんだよな?」
「……」
「お帰りー」
「……」
「カイシャ行ってたんだろ?」
「……」
「腹減ってない? なあなあ、お腹、直江のお腹」
「……」
 図としては、大股で前だけを睨らむように歩く男の横に、チマチマと懸命に少年が見上げ話かけている、そんな感じである。
 真っ白いスーツ、と言う少年の服装が、妙に夜道に浮いていた。
「直江ーなあなあ直江ってばー」
 大柄の男に、ちょこまかと纏わり付く少年……可愛いは可愛いが、可愛可哀想、な構図でもあった。だがやはり、白いスーツが強く異様さを醸し出している。
「なあなあ直江ー」
 そんな遣り取りが、マンションへ着くまで延々続けられたのだった。


 もうお分かりであろうが、これは天界から降りてきた落ちこぼれ天使と、その天使にロックオンされ振り回される人間の語である。
 人を信じられず頑なな心、闇を抱える男と悪≠知らない無邪気な天使の、そんな物語なのだ―――




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 綾子の言葉に、普通の人間であれば感じるであろう、暖かいものなどな、直江の中には一切無かった。あるのは……憎悪に限りなく近いものである。
 敵だと―――頭の何処かで訴えてくるのだ。
「……」
 黙ったまま直江は、温度の無い眸でジッと綾子を見下ろした。そして、静かに、静かに告げるのである。


「あれは俺のだ」


「―――」

 数え切れない修羅場を潜り、見聞きして来た綾子でさえ、


「俺のものだ」


 瞬間息を飲み、喉を鳴らした。


「直江……あんた……」


「近付くな」


 眸は何処までも暗く……闇に取り込まれてしまったような……
「……」
 凍り付いた綾子を一瞥すると。直江は背を向けた。そしてゆっくりと、己を待つ車へと歩き出した。
「直江」
 荒げるでもない、悲鳴でもない、静かな声に直江は振り返らずに足を止める。
「……」
 だが直ぐに、何事も無かったように直江は車に乗り込んだ。綾子は花壇に座ったまま、車が走り、見えなくなるまで眺めていたのだった。





天使高耶と傲慢エリート直江の恋物語。
表紙は藤城らいなさま、ありがとうございます!
ポップでキッチュな話の予定が直江の狂気に引き摺られ、
痛く切ないお話になっております。


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