アルプスの処女直江   T





直江はなやんでいた。
とてもとても、悩んでいた。






「ひょえ〜、スッゲーなー」
ニョキニョキ生えてる高い建築物を見上げて口をポカーン、って開けっ放し。
正に、田舎者の典型な反応。
「ちょっとお兄ちゃん、アホズラ下げてないてとっとと歩いてよ」
「ふぁい」
怖い怖い美弥さんにケツ蹴られた少年高耶は、ブーブー口尖らせてたけど逆らったら後が怖いんで素直に従って歩いて行く。
場所はフランクフルトソセジ、ドドイツの大都会。
アルムンのド田舎から出てきた高耶にとっては、何もかもが珍しい、って言うか初物だ。
何てったって、アルムンには高いお山と仔ヤギのゆきこちゃんと、千秋のオンジしかいないんだし。
そのThe☆田舎者高耶が何でこーんな大都会にいるのかって言うと、それは涙無くしては語れない事情があるのだ。
話を持ってきたのは、ウマイ話大好き!な美弥だった。
この賢くも愛らしい自慢の妹は”楽してボロ儲け”に命を掛けていた。
確率的には中々のものな筈なのに、仰木家はどん底を突っ走るド貧乏。
それもこれも、儲かると直ぐ次にいって、調子に乗って儲かった分より損しちゃう美弥の所為、モトイ、お陰だ。
高耶も常々「人間地道が一番だゾ」って言ってるんだけど、そんな寝言美弥が耳を貸す筈も無いのは、イクラが茶髪な事よか当然で。
今日も明日も”貧乏仰木”だった。
そしてある日、美弥がお山の千秋オンジの小屋にやって来た。
一応ソコは美弥んチでもあるんだけど、何時もふもとの街に下りてイロイロな事をやってるんで、滅多に山小屋に戻ってこない。
そんな美弥が開口一番、言った言葉が
「お兄ちゃん、イイ話があんだけどー」
だった。
「え?」
千秋オンジと薪の上でトロトロチーズを焼いてた高耶がクリン、って振り返ると、そこにはニヤニヤミョーにご機嫌な美弥。
美弥はホントにイロイロやってるけど、当然損はキライ、って言うかスーパーウルトラメガトンパンチ級にキライで、だから高耶に話をもってくるなんて事はそれこそ一回も無かった。
そんなだから、この言葉に高耶は反応が遅れてしまう。
「え?じゃあないの、この可愛い妹美弥さんが兄に、オイシイ話もってきてやったのよ」
エッヘン、ってエバる妹に、高耶はイヤーな顔を隠さない。
「…………何かヤだから遠慮しとくし」
「はぁ?!何可愛くない事言ってんの?お兄ちゃんのクセに」
「美弥ちゃん、それは”のび太のクセに”にひっかけてんの?」
「まぁね」
「何おぅ?!オレはのび太じゃねーッ!」
ジダンダジダンダな高耶をキレイにシカトして、美弥はツカツカ近付き高耶のチーズをぺろ。
「あッ?!」
「まいう〜」
ゴックン
「そーゆー事だからとっとと支度してよ」
オレのチーズ………ってブツブツ言ってる高耶は見る者の哀れを誘う。
だから美弥が勝手にトランクを取り出して、高耶の荷物を積め詰めしてんのにもまたまた反応が遅れる。
「ちょ、ちょっと美弥ッ?!何してんだよッ!」
「だから言ったでしょ?人の話聞いてなよ全く……これからお兄ちゃんは、あたしとフランクフルトソセジ、に行くんだって言ったばっかじゃん」
「イヤ、一言も言って無いぜ」
横からの呟きにも、
「千秋オンジは黙ってて」
と、ピシャリ。
「ホラこれ持って」
「わわッ?!」
目にも止まらぬ早業でパッキングを終えた美弥の放り投げたトランクを、高耶は慌てて受け止める。
「さっさと行くわよー」
グイグイ、この細腕で!って思う程怪力で高耶の、これまたあんまし太い、とは言えない腕を引っ張ってく。
「わわわ〜!オンジ〜、助けて〜」
「ぅおんッ」
「ゴヨーゼフ〜」
セントバーナード犬のゴヨーゼフは一回吠えたが、デカい欠伸しただけでムニャムニャ眠ってしまった。
ズルズル引っ張れてて、高耶の姿はドンドン小さくなってく。
「アホ犬〜」
アルムのお山に木霊する高耶の雄叫びを聞きながら、千秋は残ったチーズと山羊の絞りたてミルクを、ゴックン飲んだのだった、で、冒頭に戻るのである。







初めての大都会に、無理矢理汽車に乗せられてこんなトコまで連れてこられた事全部忘れた高耶は世界一お目出度い、と言えよう。
「わーわー、わッ!美弥あれスッゲーッ!」
「はぁ?ただの馬車じゃん」
「でもでも!あんなカッチョイイ馬!オレ初めて見たしッ!」
「あーあーはいはい、っと…………馬車は分かったから早く歩いてよ、時間に遅れちゃう」
「遅れるって?」
そー言えば、確か美弥はオイシイ話があるとか言って、高耶をココまで引っ張って来たのだ。
キョトン、って高耶が言うと、美弥の顔にニヤ〜、ってチェシャネコ笑い。
「え?何そのエガオ」
イヤーな予感が、高耶の脳髄から股間を抜けてカリまで走り抜ける。
「これから行くのはねーゼーゼーマンさん、って超!金持ちんチなの〜」
おほほ〜って踊り出しそーな美弥に、高耶の悪寒は益々温度を下げた。
「ゼーゼーマンさんはねー、パリスで手広く商売やってんのよ」
クフクフ笑う美弥に、高耶は恐々だけど、更にツッ込んでみる。
「でもさ、そんな金持ちが何でオレとか美弥の用?」
その高耶の問いに、美弥の鼻は天高く伸びた。
「それはね!あたしが有能!だからよ!」
「へ?」
「あのね…………」
こっから始まった話は、高耶の頭を頭痛にするには十分過ぎた。
何でもアルムンのふもとの街にゼーゼーマンが仕事のリサーチに来てた時、美弥が石鹸売ったり(何でも落ちる、とか言って)、ナイフ売ったり(何でも切れる、とか言って)、洗剤売ったり(何でも落ちる、とか言って)してるのを見て、素晴らしい商才に目を付けた………………らしい。
で、要は新しい商売すんのに美弥をヘッドハントした、って事だ。
「…………マジ?」
「マジマジ、流石ゼーゼーマン、あたしの才能に目ぇ付けるとはねー」
ルンタルンタしてる美弥を、高耶は冷静な目で分析。
これはこーゆー妹を見て育った兄が身に付けた、防衛本能かもしれない。
「…………でさ、美弥が仕事すんのは分かったけど、何でオレまでココ来なくちゃなんないワケ?」
「あ、それね」
恐々言う高耶を見て、美弥はケロ、って言った。
「ゼーゼーマンには弟が一人いるの」
「で?」
「その話相手を、ゼーゼーマンが探してたのよ、で、アタシがお兄ちゃんを推薦したワケ、メチャメチャ金持ちだし、美味いもんいっぱい食えるよ〜、時給もいいし、多分」
「…………オトウト?」
何じゃそりゃ!な高耶である。
そんなアヤシゲな事、絶対辞退しまっす!ってな感じでガオ―――ッ!って吠えてみても。
「そゆ訳で、とっとと行くわよ」
聞いちゃいないし。
クルッってターンしてサクサク歩いてく美弥を、高耶は慌てて追ッ掛けてったのだった。












3mはあるドアは、来る者を拒んでいる…………って高耶は感じた。
しかーし、美弥がそんなモン気にする訳ないし。
ドンドン
「こんちわ〜」
ドンドン
「仰木兄弟で〜す」
ドンドン
「美弥…………”手”でノックした方が……足じゃあなくって」
ドンドン
「こんちわ〜……とっとと開けろってんだヨッ!」
ドカ
「美弥……」
頭抱えてワタワタしてる高耶の前で、その重そーなドアがギシギシ開いた。
「ハイ、どちらさま?」
出てきたのは、見るからにメイド。
途端にコロ、って美弥の顔が変わる、瞬時に。
その技がはもー、カッパーフィールド並だ。
「こんにちわ、チネッテ譲さん、ロッテンマイ綾子さんいますか?」
「こちらでお待ちを」
言葉だけ聞けば丁重なんだけど、その顔はツン、ってしてて見下してんのを隠してない。
高耶は一気に気分悪ぅ、になる。
「何アイツ……感じ悪」
コソコソ
「そ、アイツ何時も気に入んないのよね、お兄ちゃんも気を付けた方がいいよ」
「…………」
妹よ、知っててこんなトコに置き去りにするつもりだったのか。
ドナドナ高耶が連れてかれたのは、ガッコみたいな長い階段を上って二階にあった割りかし広い部屋だった。
勿論超金持ち、ゼーゼーマン家にとっては客を通す部屋じゃあないんだけど、田舎者&貧乏人高耶にとっては、豪奢なお部屋なのだ。
「うわ、スゲ」
ふえ〜、って感心する高耶を全くシカトして、美弥とチネッテ譲はニッコリほほ笑み合う。
間に火花が飛んでんのは、きっと高耶の気のせいだ。
コンコン
「ロッテンマイ綾子さま」
入って来たデカくて黒づくめで、長い髪を頭の天辺でひっ詰めてる女、だった(でも美人)。
怖い系としか見えない眼鏡に、高耶は怯える(美人だけど)。
その女はチネッテ譲よか偉いみたいで、美弥も形だけは深々頭を下げてる。
「美弥さん」
「はい」
「ソチラが?」
横目の視線を受けて、高耶の肩がビクッ、って震えた。
「兄の、高耶です」
「高耶、ねぇ」
眼鏡をグイって上げながらジロジロ。
これも感じ悪!だ。
「こんな頭悪そーなコ、ウチの直江坊ちゃまに合うかしらねぇ」
「確かに頭悪そーに見えますが、そんな悲惨なもんでもないです」
美弥。それはフォローのつもりなのか。
「こんなガサツそなコ、ウチの直江坊ちゃまに合うかしらねぇ」
「確かにガサツそーに見えますが、そんなクソみたんなもんでもないです」
「こんなトロそうなコ、ウチの直江坊ちゃまに合うかしらねぇ」
「確かにトロそーに見えますが、そんなドツボってるワケじゃあないです」
「………………」
挟む言葉も見付からない高耶を置いて、2人の女の間で話が進んでく。
「ま、連れてきてしまったものは仕方が無いですね……チネッタ譲、この……」
「高耶、です」
答えたのは、美弥だ。
「高耶」
「ぅハイ!」
初めて直に声を掛けられて、高耶の背筋が緊張でピン、って伸びた。
「お前、原名な何?」
「原名」
高耶は、高耶、だ。
それ以外の名前なんか無い、だから、
「オレ、高耶、だけだけど」
「まぁ!」
ロッテンマイ綾子は見るからにわざとらしく驚いて見せた。
「原名が無いなんて!このjコはどこのジャングルから来たんだいッ?!」
この家の影の権力者であるロッテンマイ綾子にハネられたら高耶はお払い箱だ。
イコール、美弥の仕事もアヤシくなる、それはマズイ!ヒジョーに。
飽くまでも自分基準な美弥だった。
「あ、ありますあります!ロッテンマイ綾子さま」
「そう、なら言いなさい」
「確か、アーデルハイド景虎、です」
アーデル……?何だそれ。
「じゃ、そゆ事で……お兄ちゃん、あたし行くから後ヨロシク!」
走ってないのに何そのスピードわ!
忍者レベルのムーンウォークで、美弥は屋敷から出ってしまった。
「美弥美弥!」
慌てて高耶は屋敷を飛び出したけど、そこにまもー、美弥の姿がキレイに消えていたのだった。


ツヅク