月ロケットと金平糖   


Moon 10


                     

                    

「……」
 入った瞬間、何処か甘い香りがした……気がした。錯覚かもしれないが、それでも高耶は"甘い"と感じた。それは少年の好きな匂いで、ずっと嗅いでいたい匂いだ。
 これを知っている、と感じるのが正しいのか気の所為なのか、高耶には分からない。それでも蒼の星から来た少年を迎えてくれている事だけは感じられる。そう、この≠スまごは、高耶を好き、なのだ。だからここは優しい……そう肌と感覚で感じられる。
 蒼く薄い光で締占められている世界を、高耶はゆっくり歩いていった。内部はまるで空洞で、道も廊下も何も無い。小宇宙は高耶を、包み込む様に存在していた。そんな中を高耶は、ただ足を動かしているのだ。
 蒼の光は弱くぼんやりしていて、薄暗い世界だけを高耶に与えている。この≠スまごに入った瞬間、ずっとずっと、何か大事な事を忘れてしまっていて、それが頭の中で甦ってくる感覚に襲われていた。意図して忘れていた……とは少し違う。でも引き出しから出ない様、意味があって封じられていた気がする。



 高耶……月には昔、月人がいたんだよ
 月人?どんな人なの?
 月に住んでいて、星達を自由に操れる人達なんだぞ
 すごいねすごいね、おれも会いたいよおじいちゃん
 そうか、きっと高耶も会えるさ…
 本当?会える?おれ会えるの?
 会えるさ、だっておじいちゃんも……


 おじいちゃんも―――?


「……」
 そこから続く言葉が出て来ない。祖父は一体何と続けたのだろうか……
 記憶の渦に沈み込んでいく高耶は、足だけを動かしていた。
 カーン 
 カーン
 気が付けば、高耶の足音はたまごの中に響いていた。編み上げのブーツは靴底も皮で出来ていて、この磨かれた床を歩く度響く音を鳴らしている。
 右も左もなかった、前も後も無い。ぽっかり浮かんだ小宇
宙。そこを高耶は歩いていたが、そこで初めて『何か』)を視線の先に発見した。
「ぁ」
一瞬足を止めたが、初めて見付けた*レ標に、今度は目的を定めて歩き出す。

 カーン
 カーン

 空間に響く自分の足音を、高耶は耳を澄ませて聴いていた。先程$_殿で聴いたものとは、明らかに音根が違う。当然だ、あれは高耶のものじゃあなく――――


「―――――ナオエ―――」


「こんばんは……高耶さん」
 たまごの内部全体に浮かんでいた蒼の光は、そこの部分だけ白に照らされている。そこを目指して歩いてきた高耶は、丁度白の灯りの真ん中に立っていた彼と……やっと出会った。
「ナオエ……」
 ここは月だ、だから月人がいるのは当然なのだ。それが分かっている高耶は、自分でも不思議な程落ち着いていた。
「ナオエ……俺…」
 でも、訊きたい事があり過ぎる。


 どうしてここへ連れて来たの?
 どうして見せるの?





 どうして――――会いに来たの?





「……高耶さん……」
 唇を噛み締めている高耶に、月人はオッド・アイを優しく細めた。でも何処かその笑みは哀しい。哀しい程に優しいのだ。高耶はそんな月人の笑みが、大好きになっている。
「……ナオエ」
「……」
 不安なんか無いのに、高耶の声は震えていた。だから余計にナオエの哀しい笑みは深まる。
「高耶さん」
 ゆるり、と上がった腕の先にある指が、高耶は好きだ。あの指が酷く優しく髪を頬を撫でる事を知っているから。
「高耶さん」
 言いながらナオエは、視線を背後に流す。指も同じく、後へ流れた。それに誘われる様に高耶も、同じ方向に目を向けてみる。
 白い光は、強く照らされていた。このたまふごの中で、こんなに強く明るい光を見たのは初めてで。
「……」
 初めは、それが何なのか分からなかった。
「ぁ」
だが白い光は形を形成し、隠してある姿を目の前に現す。ぼんやりとしたものがやがて輪郭を作っていくと、全貌が高耶の前に明らかになっていった。

「――――――――な……」

 引き込んだ悲鳴が喉の奥で消えた。
 黒い黒い、祖父が美しいと何時も褒めていた少年の瞳が、これ以上無い程見開かれている。大きな高耶の瞳は今にも、零れ落ちてしまいそうだ。
「な……な……ッ」
「……」
 完全に凍り付いてしまった高耶を、ナオエは表情の無い透明な顔で見ていた。何の気持ちも浮かんでいない、完全に”無”だけがそこになった。だが瞳は注意深く、言葉を失っている少年を観察している。
「こ……れ……」
 目の前に繰り広げられている光景に、意識が白く霞んでくるのを感じた。だがその中で、仕舞われていた記憶が言葉が、それだけが霞の中に浮かび上がってくる。



 だっておじいちゃんも―――小さい頃、月人つきびとに会ったんだから









 ”神殿”には他に何も無かったが、柱が何本も生えていた。それに壁や柱、天井にも幾何学なアァルデコの世界を作り上げていた。だが『たまご』の中は巨大な果ての無い空洞で……否、違う。
「……」
 高耶がナオエの背後、見詰めるそこ先には、
「……ナ、オエ……」
 そう”ナオエ”がいたのだ―――無数に―――
「ナ…」
 ”ナオエ達”の並ぶ光景―――それは息を飲むものだった。
「ナ、オ……」
 ゆっくりゆっくり、まるで引き寄せられる様に近付いてくる高耶の躯は小さく震えていた。少年はナオエの前まで来ると、そのまま月人の横を通り過ぎ、彼の背後にあるものに向かって歩き出す。
 呆然と、見上げた。
「……」
 ナオエ、だった。
 立ったままの<iオエ達は、目を閉じ20inch程床から浮き上がっている。白い光に包まれた<iオエ達は横に同じく20inch位の間隔を空けて並んでいた―――無数に―――
「……」
 1人1人のナオエが、白い灯りの中に浮かび上がっている。
「ナ…」
 言葉を失っている高耶の背後に、月人が立った。
「高耶さん」
「ッ」
 突然頭の上から降ってきた声に、高耶の肩が揺れた。そして恐る恐る振り仰いた月人に、震えた戸惑いの目を向ける。
「これ……ナオエ…」
 これは一体何だろう。
 ナオエ、だ―――ナオエ以外にない、皆ナオエ、なのだ。でも何故?何故こんなに沢山の<iオエ達がいて、並び眠っているのだ?
「何……」
 縋る様に見上げてくる高耶に、ナオエはゆっくり手を伸ばした。そして両手で柔らかな頬を包みこむ。
「……」
 もう高耶が震える事は無かった。だってナオエの手は、こんなに優しいのだから。温かくも無く冷たくもない。サラッとした月人の手は高耶の心の中まで浸透していくのだ。
「高耶さん……あなたのおじいさんを……おじいさんのお話しを覚えていますか?」
「え?」
 突然出てきた祖父の名に、高耶は虚を突かれてしまった。
「おじい、ちゃん…?」
「ええ」
 頷くナオエは、高耶の黒い瞳から目を離さない。高耶も吸い込まれる様なオッド・アイに魅入っていた。
「おじいちゃんの……どうして…」
 ナオエの口から零れた¢c父の名に、言われてあの言葉が高耶の脳裏に再び降ってくる。


 だっておじいちゃんも――小さい頃、月人つきびとに会ったんだから




 ナオエに会った
 小さい頃―――小さい?


「だって……だって…ッ」
 おじいちゃんの小さい頃は、もう何十年も前だ。だからナオエも生まれて……
「ぁ」
 そうだ、ナオエは月人なのだ。だから高耶とは生きている速度が違うのかもしれない。こんな場面なのに、自分でも不思議な程冷静な答えが落りてきた。
「ナオエ……おじちゃんに会ったのか?」
 少し掠れていたが、それでもハッキリ高耶は訊く、ナオエの瞳を見上げながら。
「……」
 そんな少年を、ナオエはあの哀しく優しい表情で見下ろしている。
「ナエオ」
「……ええ」
 そして溜息と共に吐き出された答えに、高耶はそっと瞳を閉じた。
「あなたのおじいさんに……まだ彼が小さな子供の頃……あの藍の星で出会いました」
「……」
 黙って聞いている高耶の前で、ナオエは高耶の背後にある<iオエ達に目をやった。
「でも会ったのは、私(・)じゃあありません」
「……え?」
 一瞬、言われた意味が分からなかった。だから高耶は無意識に手を伸ばし、ナオエの不思議なコートのを握り締めてしまう。
「ナオエ……?」
「……」
 不安そうに瞳を揺らす高耶の手を包み込み、ナオエはそっと自分のコートを掴んでいる指を外させた。そのまま一歩ナオエは、高耶から後ず去る。
「ナオエ?」
 少しだけ離れた月人に、高耶の不安は煽られた。それでもナオエは哀しい笑みを浮かべるだけだ。
「高耶さん」
「……何?」
 抑揚の無いナオエの声に、高耶は小さく返事を返した。
「高耶さん……もう直ぐ『星渡り』の季節が終わりますね」
「ぇ…」
 脈略の無いナオエの言葉は、高耶の混乱を呼ぶだけだ。だがそんあ高耶を見ても、月人はまた一歩遠去るだけで。
「そして後は……あれ(・・)がやって来る…」
「ナオエッ?!」
 悲鳴に似た声だった。
「ナエオッ!」
 大きな声で叫ぶ高耶にも、ナオエの$テかは変わらない。それを見て、高耶の感情は昂っていった。だって、
「ナオエッ!!」
 高耶の見ている前で、スゥ、と、ナオエの躯が段々と薄くなっていくのだ。
「ナオエ、ナオエッ!!」
 もう半分も消えてしまった所でやっと、高耶の躯が動いた。行ってしまおうとしている月人を止め様と、必死で手を伸ばす。
「ナオエッ……あッ?!」
 飛び込む様に半透明のナオエの躯に抱き付いた、が、
「ナエオッ!」
 腕は虚しく空を切り、高耶は腕を抱き付く形のままでまだ残るナオエの顔を見上げた。
 何度叫んでも、何もかも止まってはくれない。でも高耶は時間さえも止め様と月人の名を呼び続ける。
「ナオエッ!どうしてッ?!」
 ス、と頬に涙が伝う。それを見たナオエは一瞬痛い表情になったが、それは直ぐに消えてしまった。そして涙を拭おうと伸ばした指も、高耶の頬を通り抜けてしまう。
「高耶さん……」
 それを見て、ナオエの哀しい笑みが深まる。
「ナオエ…」
 呆然と、でも高耶の瞳には意思が宿っていた。
 行ってしまう月人を、どうする事も出来ずに見送るしか出来無い少年は、静かに涙を流す。
「……」
 黙って微笑みながら消えていくナオエと、もう2度と会う事は無い。何故か高耶は、それを悟っていた。そして消えゆくナオエも、高耶が理解してしまっている事を感じ取っている。
「高耶…さ、ん……」
 感触の無いものを抱き締めながら、高耶はナオエを見上げてた。
「ナオエ……俺…」
「高…」
 そして最後に、声と共に高耶の月人は消えてしまった。


 







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2014.11.3