月ロケットと金平糖 

                         Moon 3





                     

                   
「名前」
「え?」
「あなたの名前、教えてくれませんか?」

そう言って、彼は草原に置き忘れた高耶のネイビィブルゥのダッフルコートを差し出す。

「あっ?!・・・・・アリガト・・・・・・」
何となく恥ずかしくなってしまい俯く高耶の目に、月人つきびとの靴が目に入る。
オレンヂ色のそれはとても不思議な形をしており、つま先が尖って上にクルッと丸まっていて、
高耶の目を惹き付けるのに充分だった。
良く見てみると、彼の不思議な格好は、靴だけじゃあない。
黒いコートは衿がとても大きくて、後の裾は深く2つに割れていて、昆虫の羽みたいだ。
その裾の先には、赤くて丸い球が付いている。

「名前・・・・・・・・」
「あ、あのね・・・・・・・・オレ高耶」
「高耶?」
「そう、高耶って言うんだ・・・・・あなたは?」
「私は、ナオエです」
「ナオエ?それ苗字?名前?」
「どっちでも無いですよ、私は”ナオエ”それだけです」
「・・・・・・ふーん・・・・・・」

妙に納得している高耶に、彼・・・・・ナオエは、高耶さん、と呼び掛ける。

「何?」
「一緒に来ますか?」
「何処へ?」

その疑問には答えずに、ナオエはフフフ、と笑うだけだ。

そして、高耶の返事を待たずに、再び背を向けて歩き出す。
その後を、高耶は慌てて追った。

街に向かうのかと思ったナオエは、その脇を抜けて港の一番外れまでやってきた。
高耶はナオエの背中が止まった事に気付き、そっと近付き顔を覗き込む。

「ナオエ?」

今2人でいる港の隣には、アァルデコの灯台が、星達を導いている。
灯台の光に誘われて、星の群がこっちへ近付いてくるのが、分かった。

動かなくなってしまったナオエの表情は、今まで草原で隠れて見ていたものと同じだ。
さっきまでの琥珀こはくじゃあなく、銀色、とあか、のオッド・アイ。
腰に下げた皮袋が、寡寡カサカサ音を立てて、うごめいている。
そして、持っていたあの網を空高く掲げてゆっくり、星達を誘導する様に、左右に振り始めた。

「あ・・・・・・・」

それはそれは、綺麗な光景、だった。

キラキラキラキラ、ナオエの振る網に吸い寄せられていく。
灯台へ行く筈だった星達は、全てナオエの元に、ゆっくりゆっくりやって来た。
ナオエは網を振るのを止めると、自分の網に吸い込まれていく星達を、ジッと見詰める。
それから、何時も通り、腰の皮袋にそれを入れると、高耶を振り返りニッコリ笑った。

「行きましょうか」

何処へ、とは高耶はもう訊かない。
ただ、ナオエの黒いコートの背中を見詰めるだけだ。

「ねぇ、ナオエはその星、どうするの?」
「・・・・・・後で、教えてあげますよ」

そして再び歩き出す。
今度は高耶の歩調に合わせて、ゆっくり歩いてくれている。
ナオエのオッド・アイは、とても綺麗だと高耶は思う。
あの目が、もしかした星達を呼び寄せるのかもしれない。
そう思った。
それ位、不思議光を湛えているのだ。

港の外れから灯台までは、歩いて10分程の距離だ。
ナオエが歩くたびに、腰に下げてる星達のうごめきが、聞こえる。
騒騒騒騒ざわざわざわざわ

星は、ナオエに何か言いたいのだろうか?
そんな事を考えながら、高耶はナオエの後を追って行った。
空を見上げると、星の天球が少しだけ変わった様な気がする。
そう言えば、もう直ぐアレ。。がやって来る時期だ。
高耶は毎年、それを楽しみにしていた。
星達が通り過ぎていった後、それ。。はやってくる。

「お腹、空いてませんか?」

突然立ち止まり振り返ったナオエが、笑いながら言う。
言われてみれば、さっきナオエに貰った金平糖こうぺいとうを食べただけだ。
コクッ、と無言で頷く高耶に微笑むと、ナオエはこっちに来て、と高耶の手を優しく引いた。

「何があるの?」
「良いもの、ですよ」
「美味しい?」
「美味しいですよ」
「甘い?」
「多分」
「多分?」
「そう、多分・・・・・・」

ナオエの大きな手は、サラサラしているけれど、暖かく高耶の手を包んでくれる。
そのまま暫く歩いていると、少し離れた所に、良く見知った人が立っていた。

キムさん?!」

ずっと姿が見えなくて、心配していた老人が、何時もの優しい笑みを浮かべて立っていたのだ。
高耶は驚き、ナオエの手を離して走り出した。
そして、彼の正面に立つと、不思議そうな顔をする。

「金さん、どうしたの?オレずっと待ってたんだよ?」

高耶が少し怒った顔で言うと、キムは困った笑みを見せる。
そんな様子に何時もと違った空気を感じた高耶は、不安に瞳を揺らした。

「金、さん・・・・・・?」
「高耶さん」

何時の間にか追い付いたナオエが、高耶の肩に手を置いた。
振り返った高耶の目には、先程と変わらない優しいナオエの顔が飛び込んでくる。

「ナオエ、金さん知ってるの?」
「ええ」

その言葉に、再び金を振り返った高耶は、彼がナオエと似ている
不思議な格好をしている事に気付く。
だから疑問は、自然に口から出たのだった。

「金さんも・・・・・・・月人つきびと、なの?」

その声には、どこか呆然とした響きがあった。
しかし金さんもナオエも、困った様に笑うだけで、高耶の問いに答えてはくれない。
そんな状態に焦れたのか、高耶の表情は段々と落ち込んだものになっていく。

「またっ、また港にお店出すよね?」

言い様の無い不安から、つい声が大きくなってしまった高耶が金の
不思議な形のコートの裾を掴みながら訊ねたが、それにもやはり望む答えは返ってこない。

港の外れには、高耶達の他に人影は無い。
アァルデコの灯台だけが、3人を照らしている。

優しいナオエの手が髪を撫でてくれたが、とうとう2人とも、答えをくれなかった。


少しの間沈黙が落ちたが、ふと髪を撫でるナオエの手が止まった。

「高耶さん、もうお帰りなさい、夜が明ける」

ナオエの言葉に顔を上げると、蒼の海の向こうが、少しだけ水色になってきていた。
そんなに長い時間事に、高耶は驚いたがこんな時間に帰ったら間違い無く母に叱られてしまうだろう。
それを想像して、高耶の顔が少し曇った。

「ね、だから」

しかし、ここで帰ったらもう2人に会えないかもしれない。
そう考えると、今まで知らなかった焦燥感が高耶を襲った。

「ねぇ、また会えるよね?明日の夜も会えるよね?」

ナオエのコートを掴む手が、少しだけ震えている。
それに気付いた男は、その手をそっと包んでくれた。

「ええ、また会えますよ、あなたが会いに来てくれるなら・・・・・・・」
「本当っ?!」

パッと明るくなる少年の瞳に、2人の男は眩しそうに目を細める。

「約束、します」
これを・・・・・・、と言って手渡されたのは、先程の金平糖こんぺいとうだった。
それはそれは沢山の金平糖で、高耶は目を見張る。
恐らく先程高耶が空腹だと言ったからだろう。
しかもそれは・・・・・・

「・・・・・動いてる・・・・・・・・?」

白いセロファンに包まれている星達は、微かだが動いていた。
普通星は、獲ったその瞬間その動きと輝きを消してしまう。
だから、金平糖になってまだ、動いているなんて事は、あり得ないのだ。

「どうして?」

ナオエは優しく微笑んでいるだけだ。
高耶の疑問の殆ど、ナオエは決してくれない。
高耶のそんな思いが顔に出たのか、彼はゆっくり口を開いた。

「今はまだ、何も言えないんです。時がきたら・・・・・・・・教えてあげますよ」
「本当?」
「ええ、約束します」
「でも、また会えるんだよね?絶対だよね?」

必死で訴えかける高耶の頭を、金さんが優しく撫でる。

「大丈夫だから、まだお店は出せないけど、またきっと高耶君に会えるから」
「金さん・・・・・・・・これだけ教えてよ、金さんとナオエは、月人つきびとなの?そうなの?」

高耶の問いに、2人は暫くの間黙り込んでいたが、その沈黙を破ったのは、ナオエの優しい声だった。

「・・・・・・そうです、私達は月人つきびとです・・・・・・・」













                       















「ただいま・・・・・」

高耶が家に着いた頃には、海は既に明るい色を付け始めていた。
何時もの時間に帰ってこない高耶に、母は起きて待っていた様で、散々叱られてしまった。

「ダメでしょう、こんなに遅くなって心配するでしょう?」
「・・・・・・・・ゴメン・・・・・・」

もう親にアレコレ言われる歳じゃあないのだが、心配掛けてしまったので素直に高耶は謝る。

「少し、寄り道してたんだ」
「そう?でもそうゆう時は、連絡してね」
「うん、分かった」

見るからに疲れてしまっている高耶を思い、もう眠りなさい、と母が言ったので
高耶は自分の部屋に向かう。

高耶の家は、コンパートメントの一角にある。
その建物の天辺は、地表から見る事が出来ない。
だからどれ位高いのか、高耶は知らなかった。
その白く無数にある建物達は、高耶の住む街の中心部固まっていた。
街外れにはさっきまでいた港、反対側の外れには、巨大な白いロボット風車計が
砂漠の上に生えている。

風の強いその風景は、幼い頃よく祖父と行った場所だ。
その祖父が亡くなってからは、殆ど行かなくなってしまった。
砂の絨毯が永遠に広がり、ただ強い風が髪を揺らす。
今になって何故、その光景が浮んできたのか。

「・・・・・ナオエ・・・・・・・」

呟いてみると、あの月人が砂しかない世界に、佇んでいる風景が浮ぶ。

「ナオエ・・・・・・・・・」

彼とは、また明晩会える筈だ。
金さんとも。

昔々月人達が住んでいた月とは、一体どんな世界だったのだろう。
何故ナオエや金さんは、高耶の住む街にやって来たのか・・・・・

「・・・・ナオエ・・・・・・」

高耶は月人の名前を呟きながら、眠りの世界に落ちていく。
その世界では、星達が高耶を待っていてくれる筈なのだ・・・・・・










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