月ロケットと金平糖   


Moon 7


                     

                    



 衝動的に家を飛び出し、エレベーターシャトルに乗り込んだ。一気に地上まで降りると高耶は走り出した。そのまま少年は草原へと消えていったのだった。
「はぁはぁ……はぁ…」
 荒い息で喉が痛くなったが、そんな事高耶は気にならなかった。譲が迎えに来る約束―――家に迎えに来ると言う事は母親にも会うと言う事で。後で譲は勿論、母にも後で叱られてしまうのは間違いない。
「ごっほ…ッ」
 急に息を吸い込んだ途端、咽てしまう。
「げっほ…ごほ…ッ」
 苦しさに思わず、涙が浮かんでくる。必死にはぁはぁ息を落ち着ける努力を繰り返しながら、辺りを見回した。こんなに短い時間で草原に着いたのは初めてで、いかに急いでやって来たのか伺えた
「……ナ、オ…」
いないかも、もう来ないかもしれない。でも、どうしてもここに来たかった。ここでナオエに会いたかった。
「は、ぁ…はぁ…」
 ひゅぅひゅぅ、と喉が奇妙な音を出したが、それを無理矢理飲み込んだ高耶は必死な様子で辺りを目で探す。だがそこには誰の姿も見当たらない。
「……」
 哀しい思考に、高耶は涙をグッと堪えて唇を噛み締めた。
 明日また会える―――そう約束したのを破ってしまったのは高耶だ。でも今まで毎日の様にここにいたナオエだ、だから1日開いても大丈夫、と言う考えが確かに高耶の中にあった……今この時までは。
「ど、して」
 心の奥の方に、大きな大きな穴が開いてしまった感覚、それを喪失感だと高耶は知らない。
 ガクリ、と膝を着いてしまった高耶は、そのまま力なく草の上に寝転んでしまった。そっと目を閉じ、流れる空気に身を任せた。瞳を閉じ、冬の夜の空気を肺に吸い込んでみる。
「……」
 ナオエ
 月人
 不思議な存在は、こんなにも少年の心を惹き付けていた。余りに穏やかなこの世界に、高耶の意識は段々と薄くなっていったのだった。
それからどれ位経ったのか、頬を撫でる風の冷たさに高耶は我に返った。
「わッ」
 思わず慌てて身体を起してしまう。
「寒…ッ」
 こんな寒い季節にこんな草原で眠ってしまったら、絶対に風邪を引いてしまうだろう。それより何より、約束を破ってしまった以上に譲と母親に酷く叱られる事は免れない。
「……」
 空を見ると、闇がやって来る時間だった。急がなくては、授業に遅れてしまう。
 高耶はマフラーを巻き直して、投げ出してあったリセバックを手に取ると、そのまま後ろ髪引かれる思いで、草原を後にし様とした、が、
「あれ?」
 立ち上がった高耶の目に、草原の中にス、と高く立っているものを見止めた。
「あッ!」
 闇に溶ける不思議なコート、綺麗な網――間違い無く月人、ナオエだった。
「ナオエッ!」
 それを認識した途端、高耶は走り出していた。
「ナオエッ!」
 広い草原で少し離れた場所に立っていた彼の元へ、高耶は懸命に走る。今捕まえないと……そんな強迫観念があったのかもしれない、無意識の下で。だけど草を掻き分けて走る高耶は、
「あッ?!」
 少し長めの草に足を取られ、躓いてしまった。
「…痛ッ…」
 全力疾走していた所為で、勢い良く草原の中に飛び込んでしまい、掌を強く打ち付けてしまったのだ。
「……」
 草の中に蹲り痛みに唇を噛んで堪えている高耶は、瞬間視界を覆った”黒”にハッとなって顔を上げる。
「高耶さん…大丈夫?」
「……うん」
 ナオエ、だった。
 あの距離をどうやって移動したのか分からないが、今の高耶にはそんな事はどうでもいい。
「ナオエ…」
 こうやって、目の前にいてくれるのだから。
「昨日」
「え?」
 高耶の手を取り怪我を確かめているナオエは、泣きそうな少年に少しだけ目を見開いた。
「どうしたの?」
「だって昨日、オレここに来るって言ったのに……」
 言いながら俯いてしまった少年の黒い髪を見下ろしている月人の瞳は琥珀で、
「……」
 そんな色で高耶を見詰めている。
「高耶さん…今日はもう帰りなさい」
「えッ?!」
 いきなり言われた言葉に、高耶はまだ潤んでいる瞳で顔をバッと上げた。
「何でッ?!」
 握られていた手を振り解いた高耶は、ナオエのコートをキツく掴む。
「何でッ?!ナオエッ」
 泣きそうな顔で詰め寄ってくる高耶の闇色のコートを掴む手を、ナオエはそっと包み込んだ。
「大丈夫だから……私はここにいるから…だから安心して下さい」
 ね?と優しく微笑むナオエに、高耶はやっと躯から力を抜いた。
「……本当?」
「ええ、本当です」
「じゃあ…オレ授業行くよ」
「それは良かった……高耶さん」
 立ち上がって膝を着いているナオエを見下ろしている高耶を、月人は呼んだ。
「何?」
「明日、また来なさい…今日はもう授業が終ったら家に帰って」
「どうしてッ?!」
 てっきり今日、授業が終ったら会えると思っていたのに。
「何でだよッ」
 会える時を伸ばされる事に恐怖に似たものを感じている高耶は、ナオエのその言葉に声を上げてしまう。そんな高耶にナオエは苦笑しながら立ち上がり、黒い髪を優しく撫でてやる。
「今日はね……星達が少し…」
「星?」
 首を傾げる高耶は、その言葉に昨日の授業の出来事を思い出した。ナオエに訊こうと思っていたのだ。俯きあの高耶の網を避けていた星の流れを思い出し、深く息を吸い込む。少しだけでも落ち着こうと思ったのだ。だが、
「あのッ」
 慌てて口を開いた高耶はだが、そのまま言葉を発する事は出来なかった。
「…ぇ…?」
 目の前には、闇と草原。
「ナオ、エ…?」
 月人の姿は何処にもない。
「うっそ…」
 呆然と呟く高耶の声は、誰の耳にも届かなかった。
「……」
 少しの間自失してその場に立ち尽くしていた高耶だが、ナオエの言葉を思い出しふぅ、と息を吐く。

 ――――私はここにいるから――――

 確かにそう、言ったのだ。
「うん……よしッ」
 自分に言い聞かせると、高耶は今度こそ草原を後にしたのだった。












 ドキドキしながら草原に着いたが、やはりまだ時間が早いのかナオエは来ていなかった。
 昨日は結局ここに来れず、そのまま譲と一緒に家に帰った。来てもきっとナオエはいないと思ったのだ。月人自身がそう言っていたのだから。それでも高耶の頭の中はナオエでいっぱいで……今もそうだ。それに金(キム)さんもどうなっているのか。
「……」
 知りたい事知らない事ばかり。だけどそれは皆、高耶の気持ちと心をわくわくさせるものばかりでもあった。
 昨日は散々、学校に着くなり譲に怒られ、帰ってからは母親に叱られてしまった。でも高耶は、明日は絶対にナオエに会える、そう心に信じていたから心軽く切り抜けられたのだ。



 今日も授業が終った後だった。授業が終ると、高耶はバッグを抱えて飛び出すように教室を出ていく。後で譲が何か言ってたが、それが耳に入る事は無かった。
 キムさんはいるかな
 ナオエ、は?
 その事ばかり考えていた高耶は、当然授業など殆ど聞いておらず、何度も譲に横から小突かれた。それでも飽きずに意識を遠くに飛ばす高耶に、最後には諦めたのかわざとらしくため息を吐いてしまった。勿論それも高耶は気付かなかったのだが。そんな友人の後姿を見送りながら、譲はイヤな胸騒ぎに眉根を顰める。

 変なことに、首突っ込んでなきゃいいんだけど……

 そんな譲の心配を余所に、高耶は嬉々としてナオエが待つだろう草原に急いだのだった。
「……はぁ…」
 この時間ならいる、そう思って濃紺のピーコートをマフラーを着込んできた高耶は肩を落としてしまう。昨日のこの時間に、ナオエは高耶の前に姿を現した。
「いないのかなぁ…」
 自覚の無い言葉は、草原の草草だけが聞いている。
「…ナオエ」
 冬でも青青とした草原には、高耶の他に人影は無い。そんな風景は、余計に高耶を寒々しくしてしまう。ここが好きな筈なのに……
「……」
 どうしよう
 このまま待とうか、帰えろうか
 本当は寒くて、ナオエもいないし帰ってしまいたかった。今まで全然平気で当たり前だった”1人の草原”がナオエに出会ってから酷く淋しいものになってしまっていたから。だから帰りたい……そんな気持ちに襲われてしまうのだ。
 でも、もしかしたら高耶が帰った後にナオエがやって来て、それでもう2度と会えなくなってしまうかもしれない…そんな恐怖に高耶の足は冬の草原に縫い付けられてしまっていた。
「寒…」
 騒騒ざわざわと、風で草草が揺れている。その度にカサカサと、不思議な音を立てていた。
 カサカサ
 カサカサ
 乾いた音を聴いていた高耶はだが、ふと空気の流れを感じて俯いていた顔を上げた。
「ぁ」
 途端、視界に入ってくるもの。
「ナオエ…」
 そこにいたのは、あの不思議な服を着た月人だった。目に飛び込んできた長身に、高耶は思わず大きな声を出してしまう。笑みを顔いっぱいに広げた高耶に、ナオエも目を細めた。
「ナオエッ」
 思わず大きな声を出して、次の瞬間高耶は駆け出していた。
「ナオエッ!」
 昨日と同じだ……と既(デ)視感(ジャヴ)を感じながら高耶は走る。
「ナオエ!」
「……」
 もう前みたいに隠れる必要も無い。高耶は彼の名前を呼び、走り寄って行った。
「高耶さん」
「ナオエッ」
 動かない状態でジッと高耶が走って来るのを見詰めていたナオエは、やっと目の前で足を止めた少年に、オッド・アイの瞳で優しく見下ろす。琥珀、ではなくオッド・アイだ。
「今晩は」
「うんッ」
 嬉しくて、何日も待った気がしているので余計にナオエがやって来たのが嬉しくて、高耶は笑顔を全開で月人を見上げる。そんな少年に、ナオエは思わず破顔してしまった。
「今晩は」
「ナオエ?」
「……」
 見下ろす瞳を細めると、大きな手で柔らかく艶やかな髪を、ナオエは優しく撫でる。
「ナオエ?」
 指の間を流れていく感触が心地良い。ナオエは何度かそれを繰り返しそっと、でも名残惜し気に指を離した。
「ぁ…」
 指が離れていってしまった途端、折角寒くなくなったのに高耶は、元に戻ってしまったと感じた。
「こんばんは、高耶さん」
相変わらず、ナオエは不思議な服を着ている。
「うん、こんばんは……金さんは?」
 金さんも一緒にもナオエといるとばかり思っていた高耶は、他に人がいないのを見て心配気に男を見上げる。そんな少年に、月人は微笑んだ。
「今日はちゃんと店を出してます、高耶さんの頼みですからね」
 そう言ってやると、少年が表情を緩めた。その柔らかくクセの無い黒髪を撫でてやると、高耶は心地良さそうに目を閉じる。しかしその手にあの網がない事に気付き、ナオエの黒いコートを引っ張った。
「網は?」
「今日は、いいのです」
「何で?」
 疑問は何でも口にする高耶に、ナオエはその少年らしい純粋さを見出して大きな手を頬に滑らせた。柔らかい感触は、髪と同じ滑らかで心地良い。
「今日はね、星達は来ないから」
「えッ?!」
 これには、高耶は驚いた。だって、今はラストシーズンではあるがまだシーズンは終ってない。終らない内は、量は少ないが星が流れて来ない事は今まで無かったのだ。授業でも歴史でも、そんな事は聞いた事も無かった。勿論教科書にも載っていない。でも、ナオエの言う事に間違いは無い。それは、高耶の中で揺るぎ無いものになっていた。
「行きましょうか」
 何処へ、とは訊かない。
 無言で頷く高耶の手を引いて、ナオエはゆっくり歩き出す。
高耶は気付いていないが、昨日よりずっと、ナオエの態度が柔らかくなっていた。昨日も勿論優しかったけど、今日はそれよりも、優しさに愛しさが加わった感じになっていた。それは行動に現れている。
 ナオエの手は冷たくて、サラッとしてて気持ちいい。冷たい筈なのに、暖かい。そんな不思議な感触に、高耶はウットリ目を閉じたのだった。黙って歩く沈黙さえ、心地良い。
「……」
「……」
 無言の2人の間には、優しい空気だけが流れていた。
それから暫く歩いた後2人が足を止めたのは、あの灯台のある港だった。
「ナオエ?」
 不意に立ち止まったナオエに、高耶は声を掛けた。それは少し戸惑いを含んだものだったのは仕方ない事だ。何故か灯台の灯りは消えていて、空にはさっきまで沢山いた星達がいない。星の消えた夜空、だった。
「……」
 見上げる少年の瞳は、不安に揺れている。そんな沈黙の中で、高耶は唐突に金を思い出した。
 金さん―――ナオエは今日、店を出すと言っていた。彼も、月人だと聞いたのはついこの間。それでも、それをスンナリ受け入れた自分を高耶は改めて思い直す。
 あの優しい初老の男の纏っていた不思議な空気が、高耶にその事実を違和感を与えなかったのだ。
 金キムさんも、いるのかな……
 漠然と考えたが、それは確信に近い。きっと、ナオエと金さんは一緒にこのまちにやって来たのだ。でも、星達のいない宇宙は、高耶
に微かな恐怖を与える。
「ナオエ……星が……」
 微かに震え不安を滲ませのた声に、ナオエの高耶のを握る手に力が入る。それは¢蜿苺vと言ってくれている様で、それだけで高耶は不安が消えていくのが分かった。
 そのまま闇の中を歩いている内に、2人は灯台の入口に着いていた。アァルデコの白い灯台は、今は沈黙を守っている。それが恐く
ないワケじゃあないけど、ナオエの冷たくて、暖かい手が高耶をここ。。に引き戻してくれた。
 何時もは閉ざされてる入口が今夜は開いていて、ナオエは何の躊躇も無く高耶の手を引いて中に入っていく。
「ナオ、エ?」
 初めて入る白い巨大な陶器は、不思議と中は暖かった。
「…わぁ…」
 高い高い吹き抜けは頭の上を延々伸びていて、高耶は無意識に感嘆の声を上げてしまう。
「もう、来ます」
「え?」
 月人の声に、少年は振り返った。
「ぁ」
 何時の間にか琥珀だったナオエの目が、オッド・アイに変わっている。その変化に戸惑いつつ、目が離せなかった。
「……」
 だってそれは、酷く綺麗だったから。
「高耶さん?」
「…ううん…」
 曖昧に首を振る高耶の瞳は、ナオエに釘付けだ。
今まで見たナオエの瞳の中で、今夜のそれが、一番美しい。それはそれは不思議な光を湛えていて、高耶を陶酔に誘い込んでく。
 陶酔の表情を浮かべる少年の手を引き、ナオエは歩き出した。そのままナオエに手を引かれて、高耶は何時しか灯台の一番天辺に来ていた。
 目の前には、海が広がっている筈だ。だがそれは闇に溶け、癒合し境界線が消えている。
 神秘的な宇宙は今、高耶の手の中にあった。


 海が、サラサラ鳴いている


「……」
 目を閉じ、海の謳う声を聞き入っていた高耶はそっと瞼を開いた。
ゆっくり宙(そら)を見上げると、そこには闇だけが広がっている。
星達は今だに姿を見せない―――
「ナオエ…?」
 初めての光景は、綺麗でそして畏怖を少年を包み込んでいた。月人は口を閉ざしたままだが、横にいてくれるのを思い出し、高耶は安堵を取り戻す。
 それから暫くの間、2人は宇宙と海の混ざり合った闇を見詰めていた。だが高耶はその変化に気付き、思わずナオエを握ってる手に力を込めてしまう。


「……ぁ……」



 真っ暗だった闇が、それ・・に飲み込まれていく――――



 星達のいない宇宙(そら)に現れたのは高耶の見た事の無い、それはこの灯台に似たものだった。





「…う、わぁ……」
 海の形が段々変わっていくのを高耶は呆然と見詰めていた、その信じられない光景を。
 白い陶器の天辺は、寒い筈の風が暖かい。黒い闇の海にポッカリ浮かび上がる、それはそれは幻想的な光景。手をスッポリ包んでいてくれたナオエの大きな手が離れ、高耶は不安気に男を見上げると直ぐにその手は肩を抱き寄せてくれた。
「ナオエ……あれ、何?」
 高耶はそれ(・・)から目を離さないで、ナオエの躯にしがみ付く。
昔祖父に貰ったリトグラフ、その空にあった、不思議な不思議な
物体。白くボンヤリしたそれ・・は、既視感デジャヴを感じさせた。キラキラしてるのは、それ・・の周りに星達が纏わり付いているからみたいだ。


 キラキラキラキラ


 段々近付いて来るのに怖くないのは、ナオエが一緒にいるから。
「あ、れ…」
 高耶の瞳は、大きく見開かれそれ・・から離れない。
 灯台と同じ高さの、不思議な物体―――
「一体……」
 そのカタチを見た高耶は、アンモナイトみたいだと思った。丸いのに尖ってる。アァルデコの灯台と同じで、陶器みたいに白い。でも灯台よりも、少しだけ大きかった。
「ナオエ…」
 高耶の小さい声に振り返ったナオエのオッド・アイは優しく細められている。
「……」
 無言で微笑まれ、高耶も表情が緩んでいった。そしてそれ・・はとうとう、高耶の目の前までやって来た。
「ぁ」
 すると今までそれにくっ付いていた沢山の星達が、白い陶器から剥がれ落ち始める。ヒラヒラ落ちて海の紺に混じる瞬間、パチン、と弾けて消えてしまった。
「あの星達は”あれ”をここまで、導いてきてくれたんですよ」
 やっと答えてくれたナオエを、高耶は振り仰ぐ。
「星が、案内したのか?」
「そう、だから迷わずに、このまちまでやって来れたんです」
「ふぅん……」
 返事をしながらも、高耶の視線は目の前の白いアンモナイトに似たものから離れない。
「ッ」
 だがそこで、ハッ、となった。
 もしかしたら、コレは……
 浮かんだ考えに蒼くなった高耶は、急に振り返った。
「ナオエ!」
「どうしたんですか?」
 ナオエは少し驚いたのか、目を大きく見開いている。突然高耶が、不思議なカタチのコートにしがみ付いてきたからだ。
「ナオエ!あれに乗って帰っちゃうのかッ?!そうなのかッ?!」
「高耶さん…」
 高耶の表情は、必死だった。
 だがそれはたいそう可愛らしくナオエの目に映り、柔らかくその躯をコートの中に守るように包み込む。
「わッ」
 突然抱き込まれた高耶は驚くが、ナオエは笑顔のままだ。
「帰りませんよ……まだ、ね」
 だが最後の台詞はとても小さく、高耶の耳には届かない。だからその答えに安心した高耶は安心して、囲いの中の暖かさにウットリ目を閉じたのだった。







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2014.10.29